神戸質店事件
神戸質店事件
神戸質店事件とは何か
えん罪は、ある日突然に・・・
ある日突然、えん罪は起こります。緒方秀彦さんは、平成19年8月10日、速度違反をしたことで、道路交通法違反で逮捕され、警察署で指紋を採取されました。
そして、緒方さんは、別の罪を疑われてしまいます。緒方さんの指紋が強盗殺人事件の現場にあった指紋と一致したとして、平成19年9月6日、緒方さんは強盗殺人の疑いで、突然、逮捕されてしまいました。
えん罪事件は、ある日突然、始まるのです。
神戸質店事件とは
平成17年10月18日、午後6時頃から午後8時30分頃までの間に、神戸市内の質屋の店内で、質店経営者の被害者が頭部を滅多打ちにされて殺害された上、被害者の持っていた現金1万650円が奪われたとされる強盗殺人事件が発生しました。
被害者は、当時66歳の男性で、若い頃に病気により左腕の肘から先の部分を切断し、また、事故で右目を失明しており、非常に特徴のある風貌をしていました。事件当時、被害者は、ビルの1階で質屋とその隣にあるタバコ屋を経営していました。なお、質店に入ると、目の前に接客用のカウンターがあり、そのカウンターの奥には質店の事務スペースがあり、さらにその奥には、被害者の居住スペースがありました。そこは、本来、質屋営業用の倉庫ですが、被害者は、そこにベッドや座椅子などの家財道具を持ち込んで、そこで寝起きをしていたようです。
事件当日の午前中、被害者は、質店を訪れた友人のMさんに、被害者の口座から2万円を出金してきてほしいと頼みました。その後、被害者は、Mさんに缶ビールを買ってきてもらい、しばらくの間、缶ビールを5本ほど飲むなどして、Mさんと質屋の隣のタバコ屋店内で過ごしたようです。そして、午後1時30分頃から、被害者はMさんの運転で外出しました。この際に、質屋については被害者が戸締りをし、他方、たばこ屋については、Mさんが戸締りをしました。そして、Mさんは、被害者の誘いで飲食店に入って食事をとり、2人は、午後3時20分頃に飲食店を後にしました。その後、被害者は、Mさんに車で質店まで送ってもらい、午後3時30分頃に別れました。なお、質店に戻って以降、遺体が発見される翌日午前8時頃までの間、被害者がどのような行動をしていたのかはまったくわかっていません。かろうじて、その日の午後6時頃、被害者の孫が1階の質店内に食器を取りに行った際に、質屋の奥のベッドの上で被害者がこちらに背を向けて、肩ひじをついて寝ている様子を目にしています。
事件後、警察は捜査を行うも、犯人を検挙する糸口は見つからず、1年と10ヶ月もの時間が経過しました。そのような中、冒頭で述べたように、別事件の関係で、緒方さんが指紋を採取された際に、その指紋が強盗殺人事件の現場にあった指紋と一致するということを理由に、平成19年9月6日に緒方さんは強盗殺人の疑いで逮捕されます。緒方さんは、その後の20日間の勾留期間中に、自らの潔白を主張し続けましたが、平成19年9月26日に強盗殺人の罪で起訴されました。
これが、緒方さんが犯人ではないかと疑われた、神戸質店事件の概要です。
神戸地裁では無罪判決
第一審の神戸地裁では、緒方さんが、神戸質店事件の犯人であるかという犯人性が争いとなりました。本件では、緒方さんが犯行を行った場面を誰かが見ていたといような直接証拠がないため、間接証拠の積み重ねから犯人だと認定できるかが争われました。
検察官が、緒方さんが有罪だと主張した立証の柱は、①被害現場に緒方さんの靴跡が残っていたこと、②犯行現場に緒方さんの指紋が残っていたこと、③犯人らしき男を見たという目撃証言があること、④緒方さんは当時金銭に困っていたことでした。
これに対して、緒方さんは、たまたまタバコを買いに立ち寄ったところ、被害者から声をかけられて店舗内に招き入れられて話し相手になり、その際、防犯カメラが設置できないか相談されて、店舗内を見て回った、と主張しました。なお、緒方さんは、当時、電気通信設備の設計、施工、保守等、いわゆる弱電設備に関する仕事に従事していました。
つまり、①被害現場に緒方さんの靴跡が残っていたとしても、②犯行現場に緒方さんの指紋が残っていたとしても、緒方さんの主張からすれば、何ら不自然なものではありませんでした。また、③犯人らしき男を見たという目撃証言があることについては、目撃者の証言には信用性がないものでした。④緒方さんが当時金銭に困っていたことについては、お金が困っているから強盗殺人をするという論理で、お金に困っていた緒方さんが犯人だとするものですが、お金がないから犯罪を行うという論理には飛躍があるというべきであり、有罪の根拠とはなり得ないものです。
第一審の公判では、事件当日の午後8時30分頃に、質店の入っているマンションの出入り口付近で緒方さんと似た人を見たという目撃証人の尋問や、事件当日の午後3時30分頃まで被害者と一緒にいたとされるMさんの尋問が行われました。
そして、平成20年6月30日、神戸地裁(岡田信裁判長)は、緒方さんを無罪とする判決を下しました。
第一審の裁判所は、「疑わしきは被告人の利益に」という基本的な原則に基づいて適切な判断を行いました。犯人かもしれないという単なる疑いだけでは、有罪にできないのが、本来の刑事裁判なのです。
大阪高裁では、まさかの逆転有罪判決
しかし、平成21年9月24日、大阪高裁(小倉正三裁判長)は、一審の無罪判決を破棄し、無期懲役の有罪判決を言い渡しました。
控訴審では、新たに法医学者や近隣の電機店店主の尋問が行われましたが、控訴審判決は、控訴審で調べられた証拠を用いることなく、第一審で認定された事実をもとに、その評価をかえたことによって、逆転有罪判決を下しました。
緒方さんは、判決が下された日、一審判決の無罪判決によって自由の身であった状態から一転、身体拘束をされ、今も外に出ることができない日々が続いています。
緒方さんは、控訴審判決に対して上告するも、平成23年12月12日、上告が棄却され、緒方さんを無期懲役とする判決が確定しました。
有罪判決の問題点
有罪判決となった控訴審判決は、有罪という結論ありきで、緒方さんの主張を信用できないと判断しました。緒方さんが被害者の店を訪れてから1年10ヶ月も経過した頃に説明している内容であることから、通常は若干の記憶違いがあって当然であるにもかかわらず、控訴審裁判所は、様々な難癖をつけ、緒方さんの主張を信用できないと判断しました。控訴審においては、緒方さんの被告人質問すら行われず、第一審と全く同じ証拠関係でありながら、その評価をかえることによって、全く逆の結論を下すという信じられない判断でした。
検察官が立証の柱とし、控訴審判決が認定した事実については、以下のとおり問題があります。
まず、検察官立証の柱であった、①被害現場に緒方さんの靴跡が残っていたことについては、緒方さんが犯人であるならば、緒方さんの靴から血液反応が出て然るべきですが、緒方さんの靴からは血液反応は出ていないこと、犯行現場に残された靴跡の中には血液を踏んだものがありませんでした。むしろ、防犯カメラが設置できないかと店舗内を見て回っていたという緒方さんの主張に沿うものでした。また、そもそも倉庫であったという構造からすれば、土足のまま居住スペースに入ってしまったとしても何ら不思議ではありません。
次に、②犯行現場に緒方さんの指紋が残っていたことについては、強盗殺人の犯人であれば、物色箇所から指紋が出てきて然るべきですが、物色箇所からは指紋が全く出ていないこと、血痕付きの指紋がないことなど、これも緒方さんの主張に沿うものです。緒方さんの主張によれば、被害者に求められるまま防犯カメラの設置が可能か否か調べるために店内の各所を触っているので、指紋が残っていたこと自体何ら不自然ではありません。
さらに、犯行現場に緒方さんのものと思われる4本の吸い殻が残されていましたが、この事実については、「犯人が犯行現場で常識的に行動したり、理性的に行動できたりするとは限らないのであり、結果的に証拠となるものを犯行現場に残していくことは想定しがたい自体ではない」という信じられない理由で、緒方さんが犯人でないと判断する理由にならないと判断しました。なお、無罪判決であった第一審判決では、緒方さんのDNAの付着した吸い殻の存在は、緒方さんの主張に沿うものとしてその信用性を高める方向で評価されていました。
また、控訴審判決は、一審では認められることのなかった、③犯人らしき男を見たという目撃証言を有罪認定に使いました。すなわち、殺害時刻に近い時間帯に、殺害現場となった質屋の入っているマンションの出入り口付近で、緒方さんに似た人物が60センチメートル程度の棒状のものを持っている姿を目撃したという目撃証言についての信用性を認めたのです。しかしながら、60センチメートルの棒状のものということ自体、控訴審で証言した法医学者が推定した釘抜き付の金槌のような凶器とは異なるものでした。さらには、目撃者が証言した男の特徴は緒方さんとは似ておらず、目撃者自身も捜査官に求められて作成した似顔絵と被告人は似ていないと証言するなど、有罪認定に使用するには相当問題のある証言でした。 このように有罪判決の誤りは指摘すればキリがありません。裁判では、犯人であると間違いないと証明されなければ有罪にしてはなりません。「疑わしきは被告人の利益に」という基本的な指点すら欠けている有罪判決は謝った判断と言わざるをえません。
再審請求~無罪判決に向けて~
本件は、緒方さんの指紋や緒方さんのDNAの付着した吸い殻が犯行現場に残されていることから、緒方さんが犯行現場に赴いたことは事実です。そこで、事件当日の緒方さんのアリバイを明らかにしていかなければなりませんが、不運なことに、緒方さんは、本件犯行から約2年後に逮捕されており、普通の人は2年近く前のことなど正確に覚えているはずがありません。残された少ない情報や記憶をもとに当日の緒方さんのアリバイを裏付ける証拠を探し出さなければなりません。
本件は、強盗殺人事件であり、普通に見れば金銭トラブルなどの怨恨から被害者が殺害されたと見るのが自然ですが、事件後2年近く犯人は分からないまま捜査も難航しており、直接犯人を捜し当てるのは事実上困難です。一方で、当時の新聞記事の一部では、被害者が複数の男と言い争う声を付近の人が聞いた、という記事があるので、現在、存在する証拠から、複数犯による犯行という可能性もあります。
また、犯行現場には、室内の天井、北側、東側、南側の壁に血液が飛び散った飛沫痕がありますが、凶器を振り上げた際に飛沫痕が生じたとすると、犯人は被害者を中心に180度くらい角度を変えながら被害者に攻撃を加えたことになります。被害者は、高齢で左腕にハンディキャップもあり、しかも、当時かなり飲酒していたと思われますので、そこまでの攻撃が必要だったとは思われないし、単独犯行だとして、そのように広範囲に飛沫痕が生じるだろうかという疑問もあります。
弁護団は、第1次再審請求に向けて準備を進めています。現在、「新証拠」の発見に向けて、再現実験を行ったり、供述証拠の鑑定も含めて、何か鑑定できることがないかの検討を行っています。
緒方さんは、無期懲役判決により、未だ刑務所の中にいます。弁護団としては、無実を訴え続けてきた緒方さんが一日も早く救済されるべく、努力していきたいと考えています。