〈海外からのメッセージ〉イノセンス運動の創始者 ジム・マクロスキーから、IPJへの応援メッセージをいただきました!

 イノセンス運動の先駆けであるセンチュリオン(Centurion) の創設者、ジム・マクロスキーさんに応援メッセージをいただきました!

 作家ジョン・グリシャムの新刊「ガーディアンズ」(2023年夏、日本発売予定)の主人公は、ジムさんをモデルにしています。イノセンス・プロジェクトに先立つこと8年前の1984年、アメリカ初のえん罪救済組織をニュージャージ州で立ち上げられました。日本にも長く住まれ、大の親日家です。

 このたび、センチュリオン・ミニストリーズの創始者であるマクロスキーさんが、イノセンス・プロジェクト・ジャパンに応援のメッセージを寄せてくださいました!
 また、ジャーナリストのディビッド・クビアックさんが、マクロスキーさんの功績について、エッセイを寄せてくださいました!あわせてお読みください。

〈ジム・マクロスキーからのメッセージ A Message from Jim McCloskey, the Founder of Centurion Ministries〉

親愛なるイノセンス・プロジェクト・ジャパンの皆様、

 センチュリオン・ミニストリーズの創始者ジム・マクロスキーです。自分が犯したものではない犯罪について、不当に刑務所に入れられている無実の人びとを救済するための活動をこれからさらに促進され、成功をおさめられるよう祈っています。
誤判・えん罪事件は、アメリカやその他の文明国と同じく、欠陥のある刑事司法制度によって起きてしまうものです。日本にも数多くの誤判・えん罪事件が存在すると思います。

 実は日本は私にとって近しい国です。日本という国、文化、そして人々に対して多大な愛着と尊敬の念を抱いています。 1960年代の半ば、私は横須賀と戸塚に海軍士官として駐在していました。日本という国、そして素晴らしい日本の人々に魅了され、心を奪われ、ビジネスマンとしてまた戻ってくることを夢見ました。
その後、1969年から1974年に帰国するまで、東京(新宿)に住んでいました。 以来、1970年代後半には別の仕事で、そして2009年には3週間の休暇で何度か日本に滞在しました。 今でも何人かの日本人の元同僚と、とても親しくしています。
ついつい長々と個人的なことについてお話ししてしまいました。ごめんなさい。本日、このメッセージをお送りしたのは、大変な仕事をされている皆様を励まし、応援するためです。

法執行機関や司法関係者は、時代遅れな司法システムによって、個々の事件が誤って有罪判決を言い渡されてしまったことや、制度全体にもこのような誤りが数多く起こっていることについて認めないでしょうし、抵抗するでしょう。司法制度を運用する側も一般市民も、そのような実情について聞きたがらないでしょう。多くの人が不当に刑務所に入れられており、苦しんでいることを知ることは、耐え難いことです。
そして、皆さんは、彼らを説得するというとても困難なタスクを始められているのです。

でも、逆境に直面しても、耐えて、長く取組みを続けてください。 私が日本で学んだことのひとつは、ウサギとカメの競争のお話で、たいていはカメが勝つということです。無実の人たちのえん罪を晴らすためには、並々ならぬ忍耐や粘り強さが必要です。でも、私の経験からいえば、忍耐力や粘り強さは日本人の遺伝子に共通する資質なのではないでしょうか。その点では、アメリカ人や欧米人に比べて、皆さんは優れています。地道に、確固とした信念をもって、几帳面に、そして徹底的な研究・調査をすることで、たくさんの山や谷を越えながら、やがて真実が明らかになるでしょう。

そして、真実は、無実の人たちを救うのです。

ミナサン、ガンバッテクダサイ。
アナタノ トモダチ。
                                    ジム

〈寄稿 イノセンス運動のパイオニア、ジム・マクロスキーと彼のイノセンス・プロジェクト・ジャパンへの熱い想い〉
                                

                                   デイビッド・クビアック(ジャーナリスト)

 国際的にみれば、刑事司法改革に関するもっとも注目すべき最近の出来事は、1984年に始まった「イノセンス運動」が、世界に広まりつつあることである。いまや13カ国に70を超える個別のイノセンス団体が存在する。イノセンス団体は誤った有罪判決を是正しつつ、えん罪がこの世界にいかに多く存在するか、えん罪がいかなる悲劇をもたらすかを、一般市民に警告しつづけている。アメリカだけをみても、イノセンス団体の活動と調査の結果、2400人以上のえん罪者の無実が証明された。これらの人びとは、合計すると2万5千年以上にわたって、無実の罪で拘禁された。

 「イノセンス革命」は、一人の男性の孤独な闘いから始まった。彼は、誤って殺人犯として終身刑を宣告された、あるニュージャージー州の受刑者を救った。無実を晴らすための孤独な闘いを始めたのは、当時はプリンストン神学校の学生で、日本にもゆかりのある37歳のジム・マクロスキーだった。マクロスキーは大学を卒業した後、アメリカ海軍の将校として3年間、関東地方で過ごした。彼は大好きな日本にその後も滞在した。海軍を辞めてからも6年にわたり、外資系企業の市場アナリストとして東京で働いた。彼はアメリカに戻って仕事を続けたが、嫌気がさしてビジネス界から去った。

 その後、マクロスキーは人生の意味を見出すために神学校に入学し、刑務所の教誨師を務めた。刑務所で無実の罪で有罪判決を受けた男性と出会ったことにより、彼の人生は変わった。この出会いは、彼が開始したイノセンス運動でその後解放された、何千人 もの人々の人生をも変えることになった。 

 刑務所で教誨師をしていたマクロスキーは、殺人者とされた貧しいプエルトリコ人のヘロイン中毒者、チーフィに関心をもった。チーフィがあまりにも熱意をもって無実を訴え続けたため、ジムは彼を信じるようになった。そして、神学校を1年間休学し、彼の無実を晴らそうとした。日本に住んでいたころ、マクロスキーは重要な情報の集め方や人となりの判定方法、そして他人に対する共感を学んだ。彼はこのようにして他人から信頼され、真実を打ち明けられるようになった。これらの才能と何時間にもおよぶ調査により、新たな証拠をつかむことができた。すなわち、州が証人工作をして偽証させ、その他の非違行為によってチーフィに無実の罪を着せたという新たな証拠を発見したのだ。チーフィの有罪判決は破棄された。 

 マクロスキーは神学校に復帰し、その後卒業したが、教会の牧師にはならず、チーフィのような無力な被害者たちのために働き続ける使命を感じた。そして、1984年にセンチュリオン・ミニストリーズを設立した。センチュリオン・ミニストリーズはえん罪を晴らすことを目的とした小さなNGOで、えん罪救済に取り組む、世界初の団体でもあった。はじめは注目されることもなく資金もなかったが、マクロスキーは数名の有能なボランティア仲間とともに、調査や弁護活動を行った。
 マクロスキーは調査を続け、最初の数年間でさらに3件の雪冤を勝ち取り、メディアからも広く注目されるようになった。
ちょうど社会もマスコミも、公務員の非違行為によってえん罪が多発していることに気づき始めていた時期だった。他にも多くのイノセンス団体が結成された。1980年代後半にDNA鑑定が用いられるようになり、さらに多くのえん罪事件が明らかになった。イノセンス運動は一挙に拡大し、数千もの事件が雪冤された。センチュリオン・ミニストリーズは賞賛と寄付の嵐を浴びた。その後、今日までに、センチュリオン・ミニストリーズは68の事件を雪冤した。

 マクロスキーは2015年に引退し、その後は自らいくつかの難しい事件を担当し、絶賛された回想録 『When Truth is All You Have』を執筆した。回想録は、死刑や終身刑を言い渡された何千人もの無実の人びとのために戦い続ける人々を鼓舞する。
回想録は、マクロスキーの人生についてだけではなく、その欠点や日本への変わらぬ愛についても語る。また、責任を取ろうとしない腐敗しきった司法への怒りや、いかに司法が無実の人々の人生を破壊してきたかを描く。このようなシステムをどのように改革すべきかについても言及する。
 作家ジョン・グリシャムの新しいベストセラー『ガーディアンズ』(2023年夏に日本でも発売予定)は、マクロスキーの歴史的な仕事について描いている。マクロスキーの回想録が、日本語でも出版されることを願う。