それでも可視化はされていないーいわゆる「参院選大規模買収事件」における検察官による不正な取調べ等に関する緊急アピールー

取調べの可視化に関する法律を作った際、可視化の対象となる取調べが暫定的に限定されたものの、その後全面可視化に向けての取り組みが進められると思われていました。ところが、刑事訴訟法の見直しは全く進まず、また議論が市民に伏せられてしまっています。

そんなときに、東京地方検察庁特別捜査部の検察官が、買収資金を受け取ったとされる被疑者(元広島市議)に対し不起訴や強制捜査を示唆することによって、検察の描いた事件の構図に沿って、記憶と異なる供述をさせるような取調べ等を行い、不正に供述調書を作成していたことや、元法務大臣を被告人とする公判の「証人テスト」においても、供述調書のとおり「買収された」と証言するよう繰り返し誘導や口止めを行っていたことが明らかになりました。

厚労省元局長無罪事件の当事者である村木厚子さんや、映画「それでもボクはやってない」の映画監督である周防正行さんといった、取調べの可視化に関する法律を作った法制審議会の委員の一部は、このような事態を危惧し、「いわゆる『参院選大規模買収事件』における検察官による不正な取調べ等に関する緊急アピール」を公表しました。このたび、その全文を当サイトにおいて公開させていただきます。

いわゆる『参院選大規模買収事件』における検察官による不正な取調べ等に関する緊急アピール

2019年に実施された参議院議員選挙に関する公職選挙法違反事件(いわゆる「参院選大規模買収事件」)において、東京地方検察庁特別捜査部の検察官が、買収資金を受け取ったとされる被疑者(元広島市議)に対し不起訴や強制捜査を示唆することによって、検察の描いた事件の構図に沿って、記憶と異なる供述をさせるような取調べ等を行い、不正に供述調書を作成していたことが報道されています。本日、広島地裁で開かれたこの被疑者を被告人とする裁判の第2回公判で、被告人は、報道どおりの違法な取調べ・調書作成が行われたと陳述しました。
報道や公判での被告人の陳述などによれば、検察官は、元法務大臣から受領した現金が買収資金であるとの認識を否定する市議会議員に対し、取調べにおいて、否認しなければ不起訴にすることや、否認すれば強制捜査の可能性があることを示唆して、買収資金だと認める内容の供述調書に署名押印させました。また、そうした取調べに際し、否認する供述を意図的に記録せずに、検察にとって都合の良い部分だけを録音・録画したとのことです。
さらに、元法務大臣を被告人とする公判の「証人テスト」においても、供述調書のとおり「買収された」と証言するよう繰り返し誘導や口止めを行っていたとされています。
こうした事態を知り、私たち法制審議会新時代の刑事司法制度特別部会(2015年6月から18年7月まで開催。以下「特別部会」という。)「一般有識者」委員5人は、取調べ可視化の実現を優先してその義務づけ範囲を小さく限定してスタートすることを受け入れたときの心配が現実となったことを深く憂慮し、この緊急アピールを発出いたします。 

私たちが求めること

 全事件の取調べの録音・録画の義務化を含め、抜本的・全体的に改革された真の「新時代の刑事司法制度」が一日も早く実現するよう、下記について、強く求めます。

(1)「協議会」の検討・開示の促進と法制審での審議の早期開始

法務省は、昨年7月から改正刑訴法の見直し規定を踏まえた「改正刑訴法に関する刑事手続きの在り方協議会」(以下、「協議会」という。)を設置し検討を開始していますが、その検討のスピードは極めて遅く、検討開始から1年以上を経過しても、施行状況の確認作業という一巡目の議論すら終了していません。また、具体的に不適正な取調べの実態などについて情報を収集・開示しての議論がされておらず、さらにはマスコミの傍聴を認めないため広く市民に検討状況が共有されていないなど、当局の姿勢には疑問を持たざるを得ません。
あらためて、協議会における検討を急ぎ、早期に法制審における審議に移行し、全事件・全過程の取調べの録音・録画の義務化を含む実効ある法改正を早急に進め、密室における取調べで作られた証拠によって無実の人が有罪とされてしまう現在の刑事司法制度が、抜本的・全体的に改革されるよう強く要望します。

(2)裁判所が期待されている役割を果たすこと

現在の刑事司法制度の抜本的・全体的改革に当たっては、身体拘束を利用して証拠が作られたり、密室で作られた証拠によって無実の市民が有罪とされたりすることのないよう、裁判所が独立した機関として、期待されている役割を十分に果たすことを強く求めます。

(3)審議にかかる情報開示と一般市民の意見の取入れ

刑事司法は市民一人一人の人権に深くかかわるものであり、改正のための議論は先の特別部会と同様、広く一般市民の意見を聞きながら行われるべきものです。このため、現在進行中の協議会については、少なくともマスメディアの傍聴を認めるなど、広く審議状況を市民に知らせる努力を強く求めます。また、法制審での審議に関しては、刑事司法の真の受益者である一般市民を代表する者を相当数メンバーに加えることを強く求めます。

今回起きた事案が示すこと

今回の事件は、刑事司法改革が道半ばであるなかで起きました。
一連の検察官の行為は、検察の描いた事件の構図に沿って有罪判決を獲得するために、検察官に与えられた訴追や強制捜査の権限を濫用して虚偽の証拠を作り出したものであり、不正な検察権の行使であることは明らかです。
今回、こうした不正を防げなかったのは、現状、録音・録画の義務化の対象が一部の事件、一部の過程に限定されているためです。今回の不正は録音・録画の義務化の対象外である任意の取調べで行われました。
不正防止のため、早期に、全事件・全過程での取調べの録音・録画の義務化が必要であることは明らかです。
また、前述のとおり、検察にとって都合の良い一部の取調べのみが録音・録画されていたことは、録音・録画の「いいとこどり」であり、適正な取調べを行うという制度の趣旨とは真逆の、絶対に許されない行為です。こうした不正な取調べが依然として行われており、放置されているという現状、そして不正撲滅には全面可視化こそが不可欠であるということは広く市民に認識されるべきです。

刑事司法制度の改革の流れ

司法制度改革が道半ばと記しましたが、ここまでの改革の経緯について、先の特別部会での審議の状況などを概括しておきます。
特別部会は、郵便不正事件(2010年に無罪判決が確定)において、確証もなく描いた事件の構図に沿って有罪判決を獲得するために、検察が取調べや供述調書の作成においてその権限を濫用して虚偽の証拠を作り、それが明らかとなって検察の信頼が失墜したことを契機として設置されたもので、「取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方を抜本的に見直し,制度としての取調べの可視化を含む新たな刑事司法制度を構築するための検討」(特別部会開催にあたっての法務大臣挨拶より)を行いました。
特別部会は、平成25年1月に取りまとめた「基本構想」において、刑事司法制度改革に当たり最も重要な考え方として二つの共通認識を示しました。すなわち、「刑事司法における事案の解明が不可欠であるとしても、そのための供述証拠の収集が適正な手続きの下で行われるべきことは言うまでもない」ということであり、また、「公判審理の充実化を図る観点からも、公判廷に顕出される被疑者の捜査段階での供述が、適正な取調べを通じて収集された任意性・信用性のあるものであることが明らかになるような制度とする必要がある」ということです。
もとより、この認識は、先の刑訴法改正で取調べの録音・録画の義務付けの対象となった裁判員裁判対象事件等の事件のみならず、すべての事件に当てはまる重要な「共通認識」です。
しかしながら、特別部会では、録音・録画について、裁判員裁判制度対象事件と検察独自捜査事件に限り、身体拘束中の取調べのみを対象として義務化し、それ以外のものについては、改正法の施行から一定期間経った後、その施行状況を検証したうえで、さらなる法改正の検討を行うこととされました。特別部会の調査結果(答申)は「附帯事項」で、一定期間後の検討に当たっては上記の「共通認識」を踏まえるべき、と明記しています。
私たち一般有識者5人は、この改革を、「きわめて不十分であるが取調べ及び供述調書に過度に依存した捜査・公判の在り方の抜本見直しの第一歩」ととらえ、取調べの録音・録画の全事件への拡大や、任意の取り調べ、参考人の取調べへの拡大など刑訴法のさらなる改正を行うことを条件として特別部会の取りまとめに賛成しました。
この考え方に従って、改正刑訴法には付則でいわゆる見直し規定が設けられ、また、第190国会において衆参両院の法務委員会が刑訴法等改正法案を可決した際の附帯決議には、「できる限りすべての事件で取調べ等の録音・録画を行うように努めること」との趣旨が盛り込まれ、義務化が行われるまでの間もこれに先立って取調べの録音・録画を広く進めることが警察、検察に求められました。

私たちは、この経過がないがしろにされている現状に、強い憤りと危機感を持っています。冤罪とは、普通に暮らしている人々にとって、いつ振り掛かってくるかわからない悲劇です。その冤罪を生じ得る危険性が放置され続けている実態が広く認知されるよう、より多くの方々にこのアピールを届けていただくことを切望するものです。

令和5年8月30日

法制審議会 新時代の刑事司法制度特別部会
委員 神津 里季生
周防  正行
松木  和道
村木  厚子
安岡  崇志