なぜ自分が逮捕されたのか、自宅が捜索されたのか、警察署に連れていかれたのか、まだ理解と整理が出来ない。言語や法律の違いもあり、なぜ自分がこのような状況にあるのか、まだまともな説明をもらっていない。
一つだけ確かなのは、自分は何も悪いことをしていないこと。何も悪いことをしていないから、ここからは直ぐに出られる。そしてしっかりと捜査に協力をすれば、無実であることも分かってくれるはずだ。
そんなマーカスさんの悩みを全て察知したかの様に、刑事はこう語った。
「この紙にサインさえすれば、全ては円滑に進むよ。」
真実、そして自身の尊厳を犠牲にすれば、緊迫した勾留状態から早く逃げ出せるという、日本の人質司法を物語るような刑事の発言。状況を完全に把握できていないまま、マーカスさんはその選択を強いられた。
不当な逮捕、自白強要:「私は日本の法律を信じ、自分の助けになると思っていた。しかし現実は全く違った」
アメリカ人英語教師のマーカス・カヴァゾスさんは日本の大衆文化に興味を持ち、13年以上前に日本に移住した。「誰にでも優しく」が自身のモットーである彼は、2018年10月、海外から日本を訪れていた友人を自宅に泊まらせていた。その友人が日本滞在中、海外からの郵便物を日本で受け取りたいと言った際には、自身の自宅住所を使うことも許可した。
しかしこの優しさが、マーカスさんを人質司法のシステムに巻き込むこととなる。2018年10月、マーカスさんは突然逮捕された。その容疑は覚醒剤取締法違反の疑いで、千葉県警の成田警察署から刑事が逮捕に来た。
マーカスさんの自宅住所宛に送られてきた郵便物の中に、覚醒剤が含まれていたのだ。これは家に泊めていた友人の郵便物で、マーカスさんはその中身を全く把握していなかった。その上、税関の検査を通っていると郵便物にはっきりと記載があったため、「万が一何か問題があっても、税関のチェックなどを規定する日本の法律は自分の助けになる」と考えたという。
そう思ったマーカスさんは郵便物を開けずにそのまま友人に渡してしまったのだ。彼の郵便物ではないものの、送り先の住所がマーカスさんの自宅だったため、その時逮捕されたのはマーカスさんだった。
弁護士に相談することもできなかったマーカスさんは、「こうやって捜査に協力することで、無実であることも理解してくれるだろうし、この状況から早く出られるに違いない」と考えサインをした。そしてその調書は後に、マーカスさんを追い込む刑事や検事にとって強力な武器となる。
「人質」となって:過酷な勾留生活
虚偽の自白を強要されていると考え、それ以上調書などにサインすることを拒否したマーカスさんは、起訴前の最長期間(23日間)勾留されることとなる。刑事や検察が満足するような自白をしない限り勾留を延長し続けるという、刑事司法システムの「人質」となってしまったのだ。
逮捕されたことはもちろん、交通違反の切符を切られたことさえなかったマーカスさんにとっては今までに経験したことがないような日々だった。
23日が経ち一旦釈放されるものの、直ぐに再逮捕をされたマーカスさんは再び23日間の勾留をされることになる。弁護人の国選弁護士には「罪状があまりにも抽象的だから、容疑を立証するのは難しいだろう」と言われ、23日の勾留期間が終われば釈放されるとマーカスさんは確信を持った。
しかし23日間の勾留期間が終わっても、マーカスさんの「人質」生活は終わらなかった。取り調べ当初にサインをした調書を証拠に、起訴されたのだ。つまり刑事や検事が作成した調書へサインをしたことにより、マーカスさんは「自白」をしたとされてしまったのだ。
2019年4月までの180日間、マーカスさんは独房拘禁された。トイレのように狭い部屋に一人で閉じ込められ、誰とも会ったり、話したりすることはできなかった。運動ができるのは週に2回のみで、それも15分ずつだけだった。やがて健康状態も悪化し、不眠や、希死念慮にかられることもあった。
保釈が認められても、運動をずっとしていないせいか、自転車に乗ることや歩くことさえしばらくは難しかったという。また、ずっと独房で一人で過ごしていたマーカスさんにとって、映画館やゲームセンターなど、人が多く集まり賑わっているところに戻るのは精神的に難しく、トラウマになってしまうこともあった。
マーカスさんの訴え:情報を発信し、改革を促進
裁判では、マーカスさんの取調べの様子の録画が再生され、圧力的で終始言葉尻を捕らえるような尋問の様子が明らかになった。また、無実を訴え続けたにも関わらず自白したと記載されるなど、供述調書に問題があることも明らかになり、マーカスさんは裁判で無罪を勝ち取ることが出来た。
「どんなに賠償や謝罪を受けても、逮捕・勾留の際に私が受けた扱いを償うことは出来ない」とマーカスさんは述べる。今でもPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱え、日本の法律や司法への信頼は完全に失ったという。
それでもマーカスさんは、「日本を愛し続け、ここに住み続ける」と誓う。「自分の経験は他の人質司法当事者と比べ特別ではない」と話し、昨年の人質司法サバイバー国会では、「世界中の人々が日本の人質司法の実態を知るべきだ」とした上で、「自分、そして他の当事者の苦悩や経験を語り続ける」と述べた。マーカスさんの司法改革の必要性を訴える活動はこれからも続く。
参考資料:
Guilty Until Proven Innocent: Japan’s ‘Hostage Justice’ System | Asia Society