なぜ日本とこんなに違うのだろう?
この疑問は今後、真剣に考えて行かねばならない課題である。同じ民主主義国家でも人権に対する意識がここまで違い、科学的証拠に対する刑事らの扱い方が異なるのである。
自白偏重主義は韓国にもあったが、2000年代に発生した事件後、科学的証拠の有用性や捜査の透明性に対する認識が高まり、裁判所も自白だけでは有罪を選択しなくなったため、捜査は自白から科学的証拠に重心を置くようになった。
さらに、昨今のデジタル社会では、防犯カメラやドライブレコーダー、SNSの投稿、携帯電話の履歴や位置情報が、捜査に活用されるようになってきた。これらのデジタル証拠と科学的証拠を組み合わせれば、自白に固執する必要性が低くなった、という。
韓国ではすでに科学捜査重視に軸足を切り替えているのに、なぜ日本では依然として戦前戦後の刑事捜査を続けているのか?私は、おそらく次の要因があるのではないかと想像している。
・刑事魂:科捜研の科学的証拠で事件解決することは刑事として許せないプライド。
・エラーに対する反省:韓国・台湾ではヒューマンエラーはあるものとして、失敗から得た教訓を生かしている。しかし、日本の警察幹部は「エラーはあってはならない」と職員を教育する。そのため起こってしまった失敗に対して、これを報告せず隠蔽し反省しない「文化」がある
・国民による監視:韓国の国民は警察を監視している。そのため、警察は人権・科学捜査・透明性に敏感である。一方、日本の国民の多くは警察を信頼しており、そのため警察は組織改革や捜査方法の改善に意欲を示さない。
私は現在、刑事捜査は曲がり角にあると感じている。捜査の現場には刑事らが理解しにくい「科学」が、これまで以上に捜査に入り込んでいるのである。これは検察官や裁判官も同様である。それだけではない。DNA型・化学薬品などの知識の他に、コンピュータ分野の知識や解釈が必要になっている。専門家任せにしておれば、専門家の誤りやゴマカシは見抜けない。
誤った解釈で捜査すれば誤認逮捕や、裁判では誤判に至るリスクが高くなる。これを防止する気があれば、人権と科学的証拠を最優先に捜査する韓国や台湾を見習うべきである。
すでに科学的手法(科学捜査とデジタル捜査)は旧来の捜査法(長期勾留・取調べ・自白の強要)を凌駕している。しかし私は「科学が司法を律するべき」とは考えていない。そうではなく、法律家と科学者が協働しなければ真実究明は難しくなるのは時代の流れと考えている。
「協働」ということは「どちらが上でどちらが下」という関係ではなく、相互の立場を同等に認めて、司法におけるそれぞれの責務を担うことである。責務とは、科学者は科学鑑定の適正性・信頼性に責任を持ち、法律家は科学鑑定の有効性・許容性に係る厳密な審査を行うことに責任を持つことにある。そして国民は、この日本の刑事司法、刑事裁判の現実を直視しなければならない。
講演「法律家と科学者の協働」
成均館大学に、科学捜査やデジタルフォレンジックを講義する学科があり、担当の先生方や学生さんたち、および首相府の韓国国立刑事司法研究所(KCIJ)からの参加の方に日本の科学捜査情況をお話しした。
成均館大学は、韓国で最初に設立された大学で600余年の歴史を誇る。科学捜査を学んだ学生は、警察のデジタル捜査や法科学課に就職するという。
講演の概要は、「科学的証拠といえども完全ではないこと」、「各種のバイアスによって科学的証拠が歪んで解釈されうること」、「科学と司法の接点におけるそれぞれの役割」などである。議論のなかで、「科学の不確実性を認識した」、「過信は禁物」、「捜査におけるトンネルビジョンは韓国でも確かにある」、などの感想が聞かれた。「今後、協働研究しましょう」という言葉を頂いた。
謝辞
この視察研究は、成均館大学科学捜査科のGibum Kim副教授、および同大学法学研究院デジタルフォレンジックセンターのLee Kung-Lyulセンター長に大変お世話になりました。また、成均館大学との調整は関西学院大学の安部祥太准教授に、同時通訳は同大学大学院Park Jemin研究員にお願いしました。ここに記して心よりお礼を申し上げます。
平岡 義博(ひらおか・よしひろ)
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