【コラム】韓国の科学捜査が凄い!-韓国調査旅行記:連載を終えるにあたって

 ここまで4回のコラムでご紹介したように、韓国における法科学の発展は目覚ましく、科学鑑定に従事してきた筆者としては、いつから、なぜ日本の法科学が遅れてしまったのか、と頭をかかえこんでしまうのである。

 私が現役の時、韓国の(おそらく)法科学研究院から2~3名で京都府警科捜研に視察に来られたことがある。その後、研究目的で半年ほど研究されていた方がいらっしゃった。この方は京都の街並みをみて「このような美しい街になるには韓国ではあと20、30年はかかるだろう」と漏らしておられた。あれから50年経った今がこの有様である。

 どこでどうなったのか、と韓国の近年の歴史を紐解いてみた。どうもターニングポイントは3つあるようだ。

 第一の契機は、戦後の混乱期に早くも捜査の近代化・科学化の方針を打ち出し、捜査から影響されず科学検査に専念できるよう、訴追機関から分離して法科学研究院を設置したことにある。

 第二の転機は、1990年代前半頃に無罪事件が増加したことである。これは裁判所が自白だけに依拠して起訴された事件に対し慎重になったためといわれる。救世主となったのが1991年に開始されたDNA型鑑定であり、科学的証拠の比重が高まった。1990年代といえばバブルショックの時代である。世界では経済停滞に苦しんだが、韓国では逆に経済の飛躍的発展を遂げている。これは政府による経済改革や財閥支援が功を奏したといわれる。しかし貧富の格差が増大したのが原因かどうかわからないが、この前後頃に韓国で凶悪な殺人事件が多発した。「ジジョン派事件」いう連続誘拐殺人はその猟奇性・残忍性に社会は震撼したという。この事件は法心理学が発展する契機となったといわれる。

 第三の転機は、2000年代の司法改革である。韓国では2003年から検討が始まり2008年に国民参与裁判制度やロースクールが始まりDNA型鑑定の関係法令が整備された。司法改革にともない裁判所が有罪判決の要件を厳密化したため無罪事案が多発するようになり、警察・検察は軸足をより一層科学捜査に置くようになったものと考えられる。2003年にNFSは正式にKOLASの認証を受け科学鑑定の信頼性・公正性を保証し、2006年には独立行政法人となってより一層独立性や透明性を強化した。国立警察大学やその他の教育機関においても、時代に見合った人権教育、法科学教育、情報教育のプログラムを取り入れ、警察官の意識改革やリテラシー(知識と理解)向上に寄与した。

 以上の歴史をもとにキーワードを拾い上げ考察した。

⑴ 無罪事件が多発
 1990年代に無罪事案が多発するようになったのは、確実な物証の欠如や補強証拠なしに自白だけで起訴された事件に対し裁判所が慎重になったこと、また2000年代には強度に高い刑事事件の有罪判決について、「裁判官が単に警察官の起訴状にゴム印を押すだけ」などと批判されたこと(2000年9月5日インターネット法律新聞)や司法改革のため、有罪要件が厳密に適用されるようになったことにある。

⑵ 法科学の強化
 これに対する切り札となったのが科学捜査と科学的証拠である。NFSは本部研究院と地方の支部研究所を順次設置し、2003年にはKOLAS(韓国試験所認定機構)を取得して鑑定の標準化を図り公正性を保証、2006年には独立行政法人となって信頼性・独立性・透明性を高め、科学捜査による事件解決によって国民の安心安全に応えている。

⑶ 警察官への科学教育
 法科学が発展した背景には、警察官の支持がなければありえない。韓国警察庁の幹部の先見性と指導力はもちろん、警察大学など充実した教育体制によって全警察官が法科学教育を受けることができる環境があったことが考えられる。

⑷ 法令の整備
 韓国では証拠品保管は刑事訴訟法で証拠資料の保管が義務付けられ、DNA型鑑定の捜査や鑑定については「行方不明児童等の保護及び支援に関する法律(2005)」や「DNA情報の管理はDNA鑑定情報の利用及び保護に関する法律(2010)」が制定されている。これらの法令には強制力があり従わねばならない。

 振り返って日本では、法による規制がなく野放しの状態であって、鑑定後の残余は被害者に返却あるいは廃棄され、捜査協力として事件現場周辺住民のDNAが採取され、それがデータベースに登録されてしまったのかどうかもわからない。刑事捜査でこのようなことが可能なのは、証拠の取り扱いや保管を規定する法律が整備されていないからである。

 日本では「DNA型鑑定に関する法律」が制定されないままDNA型鑑定が実施されており、さらに「デジタルフォレンジクス(デジタル証拠の採取・保存と解析技術)の利用と人権の保護に関する法律」が未整備のまま、デジタル証拠の採取によって膨大な個人情報が収集されているのである。同じ時代、同じ司法的環境にあって同じ改革政策を実施しながら、なぜここまで刑事捜査環境が異なってしまったのか、筆者にはまだよくわからない。ただ言えるとすれば、韓国の警察は無罪事案が増えて大いに反省したが、日本の警察はまともに反省しなかった、ということだろうか。あるいは、韓国警察は法科学を名実ともに受け入れたが、日本警察は「科学捜査の重要性」は名ばかりで、実は「科捜研なんかに主導権を奪われまい」とそっぽを向いていたのだろうか。皆さん、どうお考えですか? 

平岡 義博(ひらおか・よしひろ)