厚生労働省の局長だった村木厚子さんは、障害者団体向けの郵便料金割引制度を利用できるよう、実体のない団体に証明書を偽造したという虚偽有印公文書作成・行使の容疑で、大阪地方検察庁特別捜査部に2009年6月に逮捕・起訴されました。
村木さんの関与を認めた部下や団体の代表者らは起訴後すぐに保釈される一方、村木さんの保釈申請は3回も却下され、勾留は164日間も続きました。
一貫して無実を主張した村木さんに、ようやく無罪判決が下されたのは2010年9月10日。
その後、担当検察官が証拠を改ざんしていた事実が明らかになり、主任検事らの逮捕につながりました。
逮捕後、村木さんは連日長時間にわたり、大阪地検特捜部の検察官による取調べを受けました。検察官からは、「私の仕事は、あなたの供述を変えさせることです」と言われ、村木さんが話していない内容を記した調書を作ってサインを求められたり、「否認していると、厳しい刑を受けることになるが、それでもいいのか」などと言われました 。
村木さんは、弁護人の立ち合いなしで続いた取調べを、「プロのボクサーである検察官と、アマチュアの私がリングに上がって試合をする。セコンドも、レフェリーもいない状況」だった、と表現します 。
村木さんも、最初の調書では事実と違うことを調書に書かれ、押し切られてしまいました。しかしそのことを弁護人と話し、助言をもらい、励まされて、それ以降は納得のいかない調書にはサインしないことを貫くことができました。しかし、この事件で厚生労働省の関係者として証言をした10人のうち、半分の5人は「村木さんがやった」という虚偽の供述調書にサインをしてしまいました。
「権力を持ったプロとアマチュアを土俵に上げると、無実でも半分は検察側が勝ってしまう。えん罪を生みやすい構図がよく分かりましたね」と村木さんは言います 。
厳しい取調べを受けながらも、差し入れられた証拠書類を何度も読み込んだ村木さん。そしてついに、フロッピーディスクに記録された偽造証明書の作成時期の矛盾を暴きました。そこから検察側のストーリーが崩れ、結果的にこのえん罪事件により、検事総長が引責辞任をするに至りました。
最高検察庁は、フロッピーディスクの改竄について検証結果を公表しましたが、無理な供述調書を作り続けた理由や、間違いに気付いた後も軌道修正しなかった理由についての検証は行われませんでした 。
「間違いが起こったら間違いが起こった原因をちゃんと探して、次に間違いが起こらないようにみんなで前へ進むことが大事だと理解して欲しい」と村木さんは言います 。
大阪拘置所で自由を奪われながら「未決因13番」として過ごした164日間。村木さんは、家族がいたから頑張れた、と話します。取り調べ期間中は弁護士にしか会えなかったものの、接見禁止が解けてからは、当時高校3年生だった娘さんが大学受験真っ最中にもかかわらず、毎日のように会いに来てくれました 。
また、勾留中も村木さんが強い好奇心で周囲を観察し続けたことが、いまも多くの若い女性たちを救うことに繋がっています。周囲の若い女性受刑者の多くが、薬物や売春で受刑していると知った村木さんは、復職後、厚生労働事務次官を経て2015年に退官した翌年に、瀬戸内寂聴さんらと共に「若草プロジェクト」を立ち上げ、「生きづらさ」を抱える少女たちへの支援を続けています 。