【人質司法】無実を訴えたまま失われた命―相嶋静夫さんのストーリー

亡くなった相嶋静夫さん(2018年、お孫さんが撮影)

事件

 大川原化工機株式会社は、乾燥製品に欠かすことのできない噴霧乾燥技術のリーディングカンパニーとして、噴霧乾燥機を開発・製造し、国内外の多くの企業に納入してきました。噴霧乾燥機は、インスタントコーヒーや粉ミルク、調味料などの加工食品や、医薬品、セラミックや電子製品の部品の材料など、さまざまな用途で利用されています。

 2017年4月、警視庁公安部は、大川原社の噴霧乾燥機が軍事転用可能な機械に当たり輸出規制の対象になるにもかかわらず、同社が経済産業大臣の許可申請をせずに輸出したという外国為替及び外国貿易法(為替法)違反の容疑(不正輸出)で内偵捜査を開始、翌2018年10月には本社のほか関係各所の捜索差押えを行った上、会社の役職員に対する取調べを始めます。大川原社長や役員・社員たちは捜査に応じ、取調べは合計291回にも及びました。会社は、データや資料、専門家の意見を提出して、問題となっている噴霧乾燥機が輸出規制の対象に当たらないことを説明し続けましたが、2020年3月、大川原社長、営業担当役員の島田順司さん、そして技術顧問の相嶋静夫さんが逮捕され、その後起訴されました。 ところが、逮捕から約1年半後の2021年7月30日、検察官は、立証が足りないとして起訴を取り消しました。警察や検察の「立件ありき」の強行捜査によって始まった事件は、こうして一方的に、そして突然に終了したのです[1]

無実を訴え続けた1人の技術者の死

 起訴後、大川原社長たちは、繰り返し保釈を求めましたが、裁判所は「証拠を隠滅するおそれがある」という理由で保釈を却下。逮捕から保釈されるまでの間、身体拘束は332日間に及びました。

 勾留中に、1人の命が失われました。相嶋静夫さん(享年72歳)は、技術者として、大川原社の技術部門のトップを担い、逮捕された当時は、技術顧問として後進の育成に力を入れていました。

会社での忘年会で、大川原社長(右)の開会挨拶の後に乾杯の挨拶をする相嶋さん(当時専務取締役、2012年12月14日撮影)

 逮捕から約半年後、2020年9月25日、静夫さんに、輸血が必要となるほど重度の貧血が見つかります。その後、拘置所病院で行われた内視鏡検査で胃がんと判明しました。しかし、胃がんと診断されながら、転移の有無を確認するための検査や手術などの治療が一向に始まりませんでした。弁護人はすぐに保釈を求めましたが、「証拠を隠滅するおそれがある」という理由で、裁判官は許可しませんでした。

 命に関わる事態であることは明白でした。がんと診断されても勾留が続くのか。長男の相嶋一登さんは、とてつもない恐怖を覚えました。一登さんは、受入れ先の病院を必死に探しましたが、勾留されている刑事被告人であることを理由に、多くの病院で検査や受診を拒否されました。

 保釈も認められない。病院で治療さえ受けられない。静夫さんは見る見る衰弱していきました。せめて夫を励まそうと、静夫さんの妻は、拘置所に面会に通い続けました。夫の命の瀬戸際で「気が狂いそうだった」という妻は、ある日、面会室で夫にこう言いました。「ここで嘘をついて認めてしまったらどう?ここまできたら、もう嘘をつくしかしょうがないよ」。静夫さんは、ただ黙って、うつむいていました。静夫さんは、信念を貫きました。

 重度の貧血が見つかってから1ヶ月以上経ってようやく病院が見つかり、勾留の執行が停止されて横浜市内の病院に入院しましたが、2021年2月7日、胃がんで息を引き取りました。入院から3ヶ月後のことでした。技術者として長年に渡り日本の産業を支え続け、引退後は、孫との時間を楽しみにしながら夫婦で静かな生活を過ごすはずだった相嶋さんは、後に無実が晴らされるのを知ることのないまま、息を引き取りました。

 その3日前の2021年2月4日、大川原さん、島田さんに対してようやく保釈が許可されました。しかし、大川原さん、島田さんは、「事件関係者」と接触することが禁じられていたため、最期の時に立ち会うこともできず、葬儀に参列することも許されませんでした。

国賠訴訟の提起

 大川原さん、島田さん、そして相嶋静夫さんの遺族は、2021年9月、国家賠償請求を提起しました。提訴後の会見で、大川原さんはこう述べました「相嶋さんの無念さというか、それはどうしようもないよねと。どうしてくれるんだというか。せめて謝ってほしいというふうに思ったんで。それが本当の正直の気持ちでした。人間的な問題だと思うんです。これだけ拘束しておいて、病状が悪くなっているのにもかかわらず保釈もしなかった。それに対してだけは謝ってほしいと思ったんです。」[2]

 静夫さんの妻と長男の一登さんは、司法に対する信頼を取り戻すために、司法関係者に対し、何が問題だったのかをきちんと考えてほしいと訴えています。

人質司法サバイバー国会にて身体拘束の不当性を訴える大川原さん、島田さん、相嶋静夫さんの遺族・一登さん

[1] この事件では、警察や検察官の捜査のあり方も問われています。詳細は、NHKスペシャル「冤罪の深層〜警視庁公安部で何が〜」(2023年9月24日放送)などで詳しく報道されています。

[2] NHK, クローズアップ現代取材ノート「異例の『起訴取り消し』ある中小企業を襲った “えん罪”事件」(2022年11月16日)より。