ニューヨークの第一号イノセンス・プロジェクトが活動を始めた1990年代に先立つこと10年、ニュージャージー州でえん罪救済活動を開始した、アメリカのえん罪救済活動の先駆者であるジム・マクロスキーさんがこのたび来日され、IPJのメンバーと懇談しました。
マクロスキーさんは横須賀の米軍基地に勤務した後、日本で数年間ビジネスをして、アメリカに帰国後も日本の企業を相手にするコンサルティング会社に勤めていたという、大の親日家です。
1980年、37歳の時にビジネス界を去って神学校に入学し、その一年目のフィールドワークの一環として、ニュージャージー州のトレントン刑務所で教誨師として従事しました。その際、えん罪を訴えるデ・ロス・サントスさんに出会い、1年間休学してサントスさんのえん罪救済に取り組んだ結果、1983年に無罪判決を勝ち取ります。同年、世界初のえん罪救済組織であるセンチュリオン・ミニストリーズ(現・センチュリオン)を設立し、以降、2015年の引退までえん罪救済活動に取り組まれました。
イノセンス・プロジェクトが活動を開始する10年以上も前に、えん罪救済の取り組みが始まっていたことは日本ではほとんど知られていません。
イノセンス運動の先駆者であるマクロスキーさんがこのたび50年ぶりに来日されることになり、ぜひIPJのメンバーと懇談したいとの希望があったため、1月中旬に二度の交流の機会を持ちました。
一度目は、大阪弁護士会再審法改正実現本部との共同で開催したイベントです。今西事件の弁護人の川崎拓也弁護士(IPJ理事)・湯浅彩香弁護士(IPJメンバー)が事件の紹介をしたうえで、笹倉香奈(IPJ事務局長)がイノセンス運動の系譜について簡単に説明し、そのうえでマクロスキーさんの講演が行われました。えん罪救済への情熱がこもった講演に、IPJ学生ボランティアも参加した会場は熱心に聞き入りました。
また、IPJのメンバーとも、ゆっくりと懇談の機会が設けられました。お互い自己紹介を行い、IPJとセンチュリオンの活動の実態について踏み込んだ意見交換を行いました。先日、逆転無罪判決を勝ち取った今西貴大さんも会場で参加されました。
センチュリオンは、これまでに72人を雪冤されてきました。マクロスキーさんの45年にわたるえん罪救済にかけた人生についてゆっくり伺うことができ、私たちも新たな力をいただきました。



IPJの横断幕にサインをするマクロスキーさん
【ご参考】
①ジム・マクロスキーさんをモデルにした、ジョン・グリシャムの小説(白石朗訳)『冤罪法廷』(新潮文庫、2021年) → https://www.shinchosha.co.jp/book/240939/
②ジム・マクロスキーさんの自伝 When Truth is All You Have
③マクロスキーさんとジョン・グリシャムの共著 Framed: Astonishing Stories of Wrongful Convictions
④マクロスキーさんから、IPJへのメッセージ
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