佐賀県科捜研の鑑定不正を考える

佐賀県弁護士会 弁護士 富永洋一
立命館大学衣笠総合研究機構 上席研究員 平岡義博
(2026年7月27日)

佐賀県科捜研 鑑定不正事件 [富永]

 佐賀県警察科学捜査研究所(以下単に「佐賀県警科捜研」という)の元技術職員(以下「対象職員」という)によるDNA型鑑定の不正行為が世間に公表されたのは令和7年9月、最終報告では、佐賀県警が令和7年9月に「不適切」と判断した鑑定件数が130件とのことである。
 警察庁は、令和7年10月8日から佐賀県警に対する特別監察を開始し、令和8年6月4日に最終報告を公表した。特別監察で新たに110件を追加認定(130件のうちの1件は除外)し、不適切な鑑定が合計239件となったことを明らかにした。これは対象職員が過去に取り扱ったDNA型鑑定643件の4割近くにも上る。
 佐賀県警の調査では不正の開始時期が平成29年6月とされていたが、最終報告では平成28年8月に早まったと修正。本件不正発覚後も佐賀県警は適切な措置を講じず、不正は令和7年2月まで継続していたという。不正がなされた期間は約8年以上にわたることになる。最終報告では「県警による調査結果に不十分な点があった」とした。
 もっとも、これにより特別監察において十分な調査が行われたとはいえず、これを裏付ける資料も開示されていない。佐賀県弁護士会は従前より、対象職員が実施したDNA型鑑定643件すべての事件について、
 ・刑事確定記録の廃棄の有無、
 ・科捜研の機器内のデータの保存の有無、
 ・鑑定資料の残余や写真の有無、鑑定結果、検察庁への送致の有無、
 ・公判又は少年審判での鑑定結果の使用の有無
を個別に明らかにすることを求めていた。しかし、最終報告で開示されたのは不適切とされた事件に関する一部の情報にとどまり、643件すべての個別的な事実関係については依然として明らかにされておらず、その裏付けもない。不正の有無を判断し得る情報・資料の開示が明らかに不足している。これでは個別事件への「捜査・公判への影響はなかった」かのような結論を支持することはできない。市民に対する説明責任を果たしたともいえない。
 特別監察では「不適切」とされた239件以外の鑑定については「不適切な取扱いは確認されなかった」としている。しかしながら、この中には、過去の覚せい覚醒剤事件の公判に証拠として提出され、有罪判決に使用されていた事案も含まれていた。このことは佐賀県弁護士会宛ての元被告人からの手紙によって判明したものだ。当該事件でも、DNA型鑑定結果をデータやワークシート等の客観的資料は当事者にすら一切開示されていない。外部からの検証はできず、検察も証拠開示には極めて消極的で、DNA型鑑定の経過は完全にブラックボックスとされていることが多い。元被告人が、弁護士会に独自の調査を求めているという事実そのものが、特別監察が不十分であることを如実に示している。最終報告においても、対象職員の鑑定が公判で使用された件数は不明のままだ。
 特別監察では、佐賀県警の調査より110件多い不適切鑑定を認定できたという。このことは、より独立性の高い第三者機関が関与すれば、より多くの問題が明らかになった可能性を示唆している。先の大川原化工機事件の調査においても、警察内部による調査の限界が指摘されている。警察庁も警察組織という点では佐賀県警と同じだ。警察の内部調査では真の意味での解明は期待できない。
 特別監察では事件当事者である元被疑者・被告人および元弁護人に対する調査の実施はなされていない。当事者への調査なくして、「捜査・公判への影響はなかった」かのような結論を導くことは無理がある。佐賀地方検察庁では保管期限の過ぎた刑事裁判確定記録は既に廃棄したという。多くの事件記録の保管期限が5年であることを考えると、記録廃棄済みの事件について公判等への影響の有無を的確に検証できるはずもない。
 本件不正は、単に一職員による不正の問題に留まらず、DNA型鑑定の実施体制や組織的な管理体制を含む組織的な問題だ。今回の調査は対象職員が実施した鑑定のみが対象であり、他の職員が実施した鑑定は調査の対象とはなっていない。他の職員の不正がないとも限らないし、佐賀県警だけの問題とも限らない。DNA型鑑定の実施体制やその記録・保管、管理体制を含む全体的な調査が必要であり、中立・公正な独立した第三者機関によって改めて行われるべきだ。
 長年にわたって今回の不正を放置し管理できなかった科捜研の管理体制は、もはや絶望的というほかない。科捜研は各都道府県警察の捜査部門である「刑事部」に直属しており、捜査機関とはまったく分離がなされていないことも原因の一端、いやむしろ最大の原因であり不正の温床といっても過言でないだろう。諸外国の例にみるように、DNA型鑑定を含む科学鑑定は、警察組織とは独立した中立的な鑑定機関の手に委ねられるべきことはもはや喫緊の課題だ。

 さいごに、佐賀県弁護士会有志を中心とした、今後の取り組みを紹介しておきたい。
 本来、刑事訴訟法321条4項によって証拠能力が付与される「鑑定書」とは、裁判所が鑑定を命じた鑑定人が作成した鑑定書をいう。科捜研の警察職員(鑑定受託者)による鑑定書は本来対象外であり、同条項を「準用」する解釈が採られてきた。
 しかし、最高裁昭和27年4月9日大法廷判決・刑集6巻4号584頁は、伝聞例外を準用し得る要件として「(伝聞例外)と同様又はそれ以上の事由」に限定している。裁判所が鑑定を命じる場合には、「公平中立」な鑑定人を選任すべきとされる(条解刑事訴訟法ほか)。
 そうすると、科捜研の警察職員が作成した鑑定書は、裁判所が鑑定を命じる場合と、公平性・中立性の点で著しく劣る。科捜研の鑑定書は、この「公平中立」の点で裁判所が命じた鑑定「と同様又はそれ以上の事由」を満たさないことは明らかで、最高裁昭和27年4月9日大法廷判決の基準に違反する。
 要するに、科捜研の警察職員が作成した鑑定書は、最高裁昭和27年4月9日大法廷判決の基準を満たさず、刑事訴訟法321条4項の規定を準用し得ないはずである。
 今後、佐賀県を発信地として、「科捜研の鑑定書にNO!を」突きつけて証拠能力を争う運動を展開し、九州から全国へとさらに展開できればと思う。志ある刑事弁護人の皆様には是非とも賛同いただき、別紙の意見書案を参考に行動に移していただきたい。  「科学」は冤罪防止の最後の砦であるべきだ。「科学」の名のもとに事実や証拠が歪められ、冤罪に加担するような事態は絶対に許されない。

特別監察結果について [平岡]

 2025年9月に公表された佐賀県警科捜研の法医科元主査(43歳)による鑑定不正事件は、県警の内部調査で130件(2016.8~2025.2の8年4ヶ月間)と報告された。その後に実施された警察庁の監察ではさらに110件の不正が見つかり、240件(実際には県警調査の1件を取消し239件)となった。その内訳は表1のとおりである。
 ここで注意しなければいけないのは、この件数は不正行為が認められた事件の件数であり、不正行為の件数ではない(1事件中に複数の不正行為が確認されていることに注意)。
 事件数の内、直接的に捜査に影響が生じるのは「犯人特定/検挙」の事件数である。検挙済みで検察庁へ送致またはすでに服役している可能性のある事件数は、県警調査と特別監察の合計で60件にのぼる。捜査中の事件数は、42件となる(表1)。

表1 鑑定不正行為が認められた捜査目的別刑事件数

捜査目的別県警調査特別監察
捜査目的犯人特定/検挙検挙済3822
捜査中2517
時効910
事件性無し01
被害者DNA確認110
変死体2832
捜査目的外身元確認2918
合計130110

 次に、鑑定不正の種類別に検討する。  特別監察では7種類(細分類含め20種)に分類されているが、国際的に用いられている分類(表2、U.S. Government Printing Office, Code of Federal Regulations. Part 689 Research Misconduct)に従って鑑定不正の種別件数を再分類した。表2に該当しない不正は新たな項目を設けて分類した。例えば「流用」は、当該鑑定職員が得たグラフなどを他の事件に使用する行為、「標準法逸脱」は警察庁が通達で指定したDNA型鑑定法(令和3年4月1日警察庁丁鑑発第499号DNA型鑑定の実施における留意事項について、および令和6年3月2 9日警察庁丙鑑発第14号DNA型鑑定の運用に関する指針について)に基づかず鑑定した事例である。その詳細を表3にまとめた。

表2 研究不正行為の定義

捏造存在しないデータや結果を作成すること
改ざん検査試料・機器・過程を変更し、真正でないものに加工すること
盗用他の研究者のアイデア・方法・データ・研究結果など当該研究者の了解の無いまま流用すること。

表3 不正行為の種類と不正件数

不正分類番号特別監察において確認した不適切な取扱い (特別監察報告書 補足資料4)再分類県警調査特別監察
1当該鑑定資料のDNA型鑑定の不実施未処理90
2鑑定残余資料の紛失・偽装改ざん40
3ワークシートの不適切な記載標準法逸脱13356
4定量日時等の不適切な変更改ざん4212
5コントロール等の電気泳動データの不適切な組み合わせ流用13958
6-1予備検査の不十分な実施標準法逸脱20
6-2鑑定資料の付属品の紛失標準法逸脱10
6-3鑑定資料を不適切に切り取りその後の検査せず未処理10
6-4鑑定結果の回答漏れ未処理30
7-1鑑定資料の取り違え取り違い20
7-2電気泳動の不実施標準法逸脱51
7-3別の鑑定資料のDNA抽出液等の使用捏造40
7-4別の鑑定資料の電気泳動データの使用捏造71
7-5DNA型の不適切な判定標準法逸脱10
7-6DNA型に影響しない程度での電気泳動データの解析条件の変更標準法逸脱99
7-7本来は使用しない電気泳動データの使用流用10
7-8コントロールの電気泳動データをDNA不検出の鑑定資料の電気泳動データとして使用捏造10
7-9電気泳動の不適切な実施標準法逸脱11
7-10解析結果資料の印刷日時の変更改ざん83
7-11ワークシートの未作成標準法逸脱30
合計376141

これを不正別に集計すると図1および表4のとおりである。

表4 全事件の不正件数

 県警監察特別監察合計
標準法逸脱15567222
流用14058198
改ざん541569
未処理13013
捏造12113
取り違い202
合計376141517

 表3で「別の鑑定資料のDNA抽出液等の使用」4件、および「別の鑑定資料の電気泳動データの使用」8件は捏造にあたり、鑑定資料の取り違え2件とともに誤認逮捕や誤判決に至る可能性が高い。
 図1および表4で示されるように、鑑定不正で最も多いのは「標準法逸脱」で次いでDNA型分析のグラフの「流用」であった。全ての不正を種別に合計すると517件にのぼる。
 この内、「取り違い」の事件は、住居侵入窃盗事件で、県警調査では不送致とされている。その理由は不明である。
 「標準法逸脱」で「別の鑑定資料のDNA抽出液等の使用」および「別の鑑定資料の電気泳動データが使用」された事例は変死者などの身元確認が多いが、準強制性交事件と傷害事件があった。後者は検挙されたものの不送致であったが、前者は送致されている。また、特別監察で発見された大麻事件は不送致とされている。
 以上のことから、送致された「準強制性交事件」はどのような裁判の経緯を経て現在、被告人が収監中なのか否か不明である。
 また、現在、覚せい剤事件で収監中の受刑者から再調査を求める請願があり、この事件は特別監察で「不適切は確認されない」グループにあるため、不適切と結論された事件以外も精査する必要性が生じる(図1)。

図1 特別監察 不適切事件数

表5 犯罪捜査目的事件の鑑定不正の影響評価
(特別監察報告書 図表4 捜査・公判への影響等の確認結果の総括表、P.11)

捜査処理情況捜査への影響公判への影響
影響なし影響不明影響影響なし影響不明影響
検挙 59件無実者訴追 (分類A-1)59起訴59
犯人取逃がし(分類A-2)
捜査中 42件無実者捜査42
犯人取逃がし1527※
時効無実者訴追1919
犯人取逃がし910

分類A-1:対象職員により不適切な取扱いが行われた鑑定結果を基にした警察活動により、 「本来、捜査対象とすべきでない方を捜査対象とした」、「本来、拘束すべきでない方を拘束した」、「犯人でない方を、被疑者として検察庁に送致した」といった捜査上の不適切。➡「無実者訴追」に当たる。
分類A-2:「本来、判明するは ずの被疑者を判明させることができなかった」といった捜査への支障。➡「犯人取逃がし」に相当。

※(内訳)DNA型鑑定自体に問題なし 21件、DNA不検出結果が不適切6件

 この表5で、検挙事件において無実者を捜査対象または拘束、訴追した59件の経緯と根拠などの詳細が不明である。これの事件は起訴されたとみられることから、その情況について説明がなければならない。
 捜査中の事件においては、捜査対象また拘束された無実者に対しどのような措置がなされたかが不明である。

鑑定不正の原因と改革 [平岡]

鑑定不正の原因

 今回の鑑定不正事件に対し、特別監察はその要因と防止策を次のように述べている。
 a 対象職員の倫理観の欠如と不十分なサポート体制
 b 幹部による不十分な業務管理
 c 不適切な鑑定業務を防止するための対策の不足
 aとbの要因に対する再発防止策として「組織マネジメントと職員サポートの強化」を述べている。また、cに対しては「DNA型鑑定作業の厳格化・標準化」、「電子データや鑑定資器材の管理の徹底[1]」、「DNA型鑑定の適正な運用の徹底」、「DNA型鑑定業務の合理化・効率化」を指示する。
 しかし、これらの防止策は原則の提唱のみで、具体性・実効性に欠けるように思われる。例えば「組織マネジメントの強化」とは、どのような管理をどのように強化するのか、「DNA型鑑定業務の合理化・効率化」とは、少ない人員・予算の中でどのように合理化するのかイメージできない。
 結局、原因は対象職員と佐賀県警の問題(現場担当者責任論)であり、DNA型鑑定の運用に関する指針(警察庁通達)を徹底しておれば起らなかったこと(監督者責任回避論)を暗示しているようにさえ思われる。
 このような鑑定不正は日本だけの問題ではなく、海外では法科学が生みだす不正が研究の対象となっている。特にDNA型鑑定の出現とともに鑑定不正(forensic fraud)と不正行為(misconduct)が、誤った有罪判決の大きな要因として認識されるようになった[2]
 鑑定不正が発覚した場合、警察が一般的に行うことは、その不正行為を行った個人を特定し、再訓練させるか処罰、場合によっては解雇することで解決する、というものである。これは「腐ったリンゴ論(Rotten Apple Theory[3]」と呼ばれる。つまり、問題職員の行為を腐敗行為として切り離し、他のすべての行為は無罪とみなすことで、組織が攻撃される可能性を低くする方法である[4]
 しかしこの方法では、またどこかの果樹園でリンゴが腐り、後発事件を絶つことができない。根本的な解決法でないことは明らかである。
 実質的な解明には、不正行為が発生する機序(事件の背景にあるメカニズム)、すなわちどのような原因でどんな場合になぜ起こるかを解明しなければならない。そこで考案されたのが「クレッシーの不正行為の三角形(Cressey’s Fraud Triangle)[5]」である(図2、表6)。
 不正の発端となる「動機」、これを実行する「機会」、そして不正を許す「正当化」が同時に生じた時に鑑定不正が発生するという。

 さらに、不正行為の三角形の3要素を具体的に言い換えると次のようになる。

 そもそも、不正行為はほとんどの場合、孤立した歪んだ個人のみによるとは、本質的に考えにくく[6]、上記の三つの要因が絡んでいるとする。このアプローチは広く支持を得ており、不正防止の原因解明に役立てられている。

 ⑴ 内的状態
[能力]
・専門領域:DNA型鑑定をする職員は、その専門に精通していなければならない。しかし、大学の専門課程を卒業、あるいは大学院修士課程を修了していたり、中には大学中退であったり専門学校であったりすることもありうる。学歴詐称は科学的資格の改ざんにあたる。また、DNA型鑑定免許は科警研が実施する課程を修了し、さらにブラインドテストに合格しなければならない。この資格が無いにもかかわらず鑑定を実施することも資格詐称にあたる[7]
・採用試験:採用時の試験が、地方自治体の公務員試験上級(大学卒)か、警察独自の試験か、あるいは縁故採用かは鑑定職員の能力の較差に影を落とす。 
[性向]
・科学倫理:鑑定職員の科学倫理は重要である。科学とは何か、どうあるべきかを大学で学んだかどうかは、鑑定者の資質に影響する。残念ながら、科警研法科学研修所で実施される科捜研職員への研修では、科学倫理や科学の信頼性についての教養はあまり印象に残らなかった記憶がある。 
・昇進願望:昇進願望そのものは、業務への意欲に刺激となるため悪いことではないが、不正をしてまで「良く見られよう」とするのは、性格的に異常である。年功序列の閉鎖的社会で他府県などへの異動ができないことも、葛藤の原因になりうる。
・嗜癖(中毒、囚われ、依存):アルコール、ギャンブル、薬物、最近では携帯(SNS)への過度の依存は、鑑定職員の正確な検査や冷静な判断に影響する。

⑵ 外的資源
・人員:科捜研職員の人員不足は特にDNA型鑑定分野で顕在化している。急激にDNA型鑑定が増加した2000年代初期は、増員要求してもなかなか実現せず苦労した記憶がある。
 DNA型鑑定の嘱託件数は、2015年頃にピークに達したが、現在は高止まりの状態にある。日本は韓国や台湾と比較するとかなりDNA型鑑定件数が多い(図4)。

図4 日本・韓国・台湾のDNA型鑑定件数の推移(2007-2024)

 佐賀県科捜研の法医科職員は現在6名とされる。現在では20名以上は在席されていると推定される。科捜研の人員はその都道府県の人口規模に比例する。2011年頃の佐賀県科捜研の全職員数は17名で、隣の福岡県科捜研は43名であり、他の九州内の科捜研の中では最小規模であった。
 法医科の業務はDNA型鑑定が主であるが、他に顔画像・毛髪鑑定・硬組織鑑定(骨・歯など)とDNA型データ送信、および鑑定資料収受・送付の記録作業がある。法医科長は自ら鑑定を行うと同時に決裁業務があり極めて多忙なポストである。
 中小府県の科捜研は、大規模府県の科捜研とは異なり、庶務がなく(あっても鑑識課・科捜研兼務の庶務で事務員の席は鑑識課にある)、庶務的業務を鑑定職員が請け負っている。このような状況にあるので、もし県内で殺人事件でも発生すれば、捜査本部から大量の鑑定嘱託が舞い込み、大渋滞と大混乱が発生することになる。
・予算:都道府県の科捜研予算も都道府県の人口規模に比例し、2013年頃の佐賀県の国費消耗品額は約6,100万円と推定される[8]。当時の全国科捜研の平均では1億1900万であるので半額に相当する。当時の科警研の「研究・鑑定に必要な経費」は8億400万であった(図5)。

図5 都道府県の科捜研国費平均予算 vs科警研の研究鑑定基盤整備費

 このような中で、重大凶悪事件が発生すれば、当然、DNA関連消耗品が不足し、予算を使いきってしまうため、警察庁に補正予算を申請することになる。しかし、すぐには納付されない。しかし現場からは矢のような鑑定結果の催促が重なる。
 これは鑑定不正を生み出すに十分な環境である。
 例えば、その場しのぎに1回だけと鑑定していないにもかかわらず「DNA不検出」と報告したとする。すると、2度、3度・・・。資料取り違いや紛失、誤記などの過失の他に、未処理鑑定、グラフの流用、標準法の逸脱、ワークシートの未作成・・・。
 捜査本部事件はどの都道府県でも発生する。従って上記のような状況はどこでも発生するのである。ただ不正を実行するかしないかは、その鑑定職員の誠実さ・倫理観の強さと科学が何であるかの理解度に依存するのである。
・研修
 科学鑑定の研修は、新規採用後に法科学研修所に入所し「養成科」で基本的な事柄を学ぶ。その後、所属の科捜研で一定の実地経験を積んだのち、「現任科」で更なる知識・技術を身に着ける。鑑定業務で特にある分野をさらに深めたい、という職員は「専攻科」で学ぶ。さらに特定の分野を研究したい職員は「研究科」に入所し、数か月間、大学に通うなどの機会が与えられる。管理職に就いた者は「管理科」でマネジメント教育を受ける。
 いずれにしても、法科学の知識・技術の習得に重きが置かれ、法科学者としての倫理や法科学の在り方などの教養は二の次となる。
⑶ 組織環境
 組織環境の例としてJudson (2004)[9]は、研究所の階層構造や広範な組織環境をあげている。
・研究所の階層構造
 日本の科捜研の特徴として「機関鑑定」というシステムがある。これは、警察署からの鑑定の嘱託は組織として受理する。つまり、組織の長の科捜研所長の権限で受理し、担当者に鑑定の実施を命じる。
 一方、鑑定書など鑑定結果の責任は担当した鑑定職員が負う。従って、証人出廷は担当した職員が尋問を受ける。
 このシステムは、どの科捜研でも当たり前のように採用されているが、その実質は鑑定の全責任は担当した職員であって、上司や所長の責任ではないことを意味する。この制度のため決裁は形式的なものになりやすい。ある意味で「科学的知識の乏しい警察官に所属長ポストを用意するために作られた制度」ともいえよう。
 このような研究所で鑑定不正が発生すれば、それは問題の職員の責任であって、所長は責任を免れる。
・鑑定の修正を可能にする組織環境
 科捜研は、各種の捜査情報が流入する環境にある。下部職員は鑑識課員と常時接しており、幹部職員は刑事部の幹部と接している。従って捜査現場から種々のバイアスが流入する。それだけではない。捜査側から鑑定についてあからさまな指示が舞い込むのである。以下に掲げたのは実際に筆者が経験したものである。
「鑑定書のこの一文を削除してほしい」(鑑定結果の意味合いの修正)
「解剖医の所見に合わせてほしい」(鑑定結果の改ざん)
「陰性結果を偽陽性と修正してほしい」(鑑定結果の改ざん)
「この資料は捜査本部が犯人と考えている者の資料だ」(無関係文脈情報)
「PCRの回数を増やして検査してほしい」(標準法の改変)
 このような要求をしてくる捜査員は「これは本部長指示」とか「検察官指揮」などと付け加える。このような理不尽な要求を、どれだけの科捜研職員がキッパリと拒否できるであろうか。これは鑑定の信頼性にかかわる問題であるだけでなく、捜査の都合に合うような要求は、結果のねつ造や事実の隠ぺいなどの不正につながる。
 このような要求を違法行為として取り締まるためには、強制力のある法令の整備と鑑定受付場所の監視カメラによる記録が必要となるだろう。
・失敗を許さない文化(無反省の過ち)
 人間は人間であるから過ちを犯すことが避けられない。人間は失敗をした時にこれを失敗と認識し通常は反省するものであるが、警察組織では幹部が「失敗は絶対にするな」と教育するため、もし失敗した場合は、これを隠すしかなくなってしまう。
 「失敗は許されない」と訓練され動機付けされる警察文化は、失敗してもこれは失敗ではなく「無視できる範囲」などと合理化したり、事実や鑑定資料を隠蔽したりする職員を生み出す温床となっている。

鑑定不正の改革

 鑑定不正は個人の問題だけでなく、警察組織の在り方にもかかわる問題といえる。この章ではこれまで検討で明らかになった不正原因に対し、どのような解決策があるかを考える。
⑴ 鑑定職員採用制度の改革
 公務員は一般に地方自治体の公務員採用試験で選考され採用される。都道府県公安委員会の管理下である警察もその自治体の職員である。従って、地方自治体が実施する公務員試験(上級)で科捜研職員を選考し任用する必要がある。
 ところが、技術系の公務員試験区分は一般に、土木、電気・電子、機械、建築、化学、農業、薬学などであって、これに該当する科捜研の科は、化学科と物理科のみである。法医科(DNA関係)では、試験区分の農業や薬学が該当するかもしれない。しかし、文書科(筆跡)と心理科(ポリグラフ検査)の職員を募集できる区分がない。そのため、警察独自の採用試験が実施される。または縁故採用もありうる。警察職員の採用では、機密保持や身元確認が重視されるため、警察職員の子弟や特定の大学出身者が優遇される傾向がある。
 公平な採用試験で優秀な人材を確保するためには、地方自治体の公務員試験(上級)枠に、生物学、数理情報学、心理学の区分を設けることが求められる。
 また鑑定不正防止のため、次の点を採用試験に組み入れる必要がある。
 ・卒業証明書等の提出:学歴の詐称や資格証明書の改ざんなどの偽造文書行使は罪であり、海外でも問題になっている[10]
 ・倫理観のチェック:一般試験問題に科学倫理に関する問題を導入すること。
 ・性格のチェック:すでに採用されている適性検査などの活用。
⑵ 責任体制の改革
 日本の科捜研は「機関鑑定」という個人責任体制になっているため、これを全面的に廃止し組織責任体制に改正する必要がある。鑑定職員だけでなく上司と所長の連帯責任体制にしなければならない。
 現状では、鑑定職員は鑑定や証人出廷だけでなく鑑定収受業務を担っており、多忙を極めている。上司の科長や調査官も自ら鑑定に追われながら部下職員の鑑定書のチェック(決裁)を行っている。科捜研所長のポストに配属された警察官は科学知識に欠けるため決裁は調査官任せとなっている。
 近未来的には、まず科捜研専属の庶務係を設けて鑑定収受・発送業務を担い、上司の調査官は決裁、現場との調整・連絡、および証人出廷に責任を持つことで、鑑定職員は鑑定に専念できるようにする。科捜研所長は警察官ではなく、学位を有する科学者または科捜研職員を当て、鑑定と研究所の管理に全責任を負うべきである。これは社会通念的にも組織・企業の所属長としての責任である。
⑶ 共助体制の確立
 捜査本部事件の発生で非常に多数の鑑定資料が持ち込まれ、科捜研の処理能力を上回る事態が生じる。特に、予算・人員が少ない小規模科捜研では深刻である。このような事態に緊急に対処するには、一定の地域内で予算・人員の共助ができるシステムが有効と考えられる。
 例えば、警察庁の管区警察内で共助体制を構築することである。この構想は地方自治体の職員の所属の枠を超えることから、地方自治体の調整を要するが、本来、鑑定は国費で警察庁の管轄にあり、広域捜査においては捜査上の共助体制があり、科捜研間においても鑑定業務を共助することは可能と考えられる。
 さらに、困難な科学鑑定や現場調査では、科警研職員の支援を要請し、科警研も積極的に地方科捜研の援助に出動する体制が望まれる。
⑷ 科学警察研究所の改革
 科警研と科捜研は、前記「外的資源」の予算で紹介したように、かなりの較差がある。一方、科警研の鑑定業務の実態は、海外の国立法科学研究所と比較すると、お粗末な状況なのである。
 図6に、科警研(NRIPS)、韓国の国立科学捜査研究院(本部)(NFS)と台湾の法医研究所(IFM)の鑑定実績(2018-2019)を比較した[11]

図6 科警研・韓国(NFSのみ)・台湾(IFM)の鑑定実施件数 

 韓国の科学捜査研究院(NFS)は、本部と5つの支部研究所がおよび1つの支所があり、いずれも管轄地域の鑑定を実施している。本部研究所も所在地の江原道の鑑定と、困難な鑑定および未解決事件の鑑定を担っている(図6のNFSのデータは本部研究所だけの鑑定数を示す)。台湾の検察庁の法医研究所(IFM)は国内の殺人・変死事件の鑑定をすべて実施している。
 これに対し、日本の科警研(NRIPS)の業務は「科学捜査についての研究・実験及びこれらを応用する鑑定・検査」[12]とされるが、特殊な事件の鑑定を除き、ほとんど鑑定実務をおこなっていないことが図6からわかる。これは、科警研が研究に特化していることを示している。
 では研究の実態はどうであろうか。韓国NFSと台湾IFMと比較した[13]

図7 科警研・韓国(NFS)・台湾(IFM)の研究論文数

 図7のように、科警研と韓国NFSの論文数は拮抗している。しかし、日本と韓国の人口規模からみれば、科警研の論文数は表示の2倍はあってもよい。なお、「研究開発機関評価委員会の開催結果について(2023)」[14]によれば、ある委員は「各部門の研究・鑑定・研修指導は大変活発であり、わが国の法科学研究を支え、国の安寧秩序の維持に大きく貢献している。しかし、実際には科学警察研究所の質の高い研究業績や多くの 鑑定は、驚くべき少人数の研究者によって行われている」と指摘しており、ほとんど研究業務に実績を示せない技官が多い現状が垣間見える。
 このような情況にもかかわらず、科警研には地方科捜研国費(平均)の10倍以上の研究鑑定基盤整備費が充当されており、その配分は見直されなければならないであろう。そして、科警研職員も鑑定技官として地方科捜研に出向し、現場の状況を学びつつ技術指導するなど、日本を代表する法科学研究所としての任務を担わなければならない。
⑸ 組織体制の改革(科捜研の警察からの分離)
 警察捜査の目的(ニーズ)と科学鑑定の目的(科学的誠実性・中立性)を考えた時、そもそも両者は相容れないのではないか、という議論に行き当たる。これは「警察文化と科学文化の相反」として、海外でも次のように議論されている。
・法科学鑑定官の客観的で公平な信条は、彼らを雇用する組織(警察)が醸成する文化、規範や行動規範としばしば相容れない[15]
・法執行機関と連携した科学では、科学的実践に必要な独立性と公平性を達成できないため、法執行機関による監視や統制から法科学の実践を完全に分離することを提唱[16]
・NAS報告書は具体的に「法科学検査の科学的根拠を向上させ、法執行機関からの独立性または自律性を最大限に高めるため(中略)、すべての公立法科学研究所および施設を法執行機関または検察庁の行政管理から外す」ことを推奨している[17]
 科捜研を警察組織から分離することは、警察機関の手足として従属していた囚われの身から解放されることで、不要な要求や圧力を排除し科学鑑定に専念できる環境を提供する。
 しかし、法科学研究所の分離・独立には懸念もある。
 一つは、予算や人材の手当を独自に行わねばならず、慣れない運営を強いられることである。次に、科捜研が分離された後の警察組織が、残された鑑識課を強化し、本来、科捜研が実施すべき鑑定を安価な費用で、捜査に都合よく実施しだす懸念である。後者の懸念はすでに韓国のソウル警察庁で起こっている。
 また法科学研究所の分離は、必ずしも法科学の民営化を意味するものではなく、既存のすべての政府法科学研究所システムを法執行機関の予算、監督、指揮系統から分離する法律を制定するだけで十分ではないか[18]、という議論もある。
 つまり、物理的に分離するまでもなく、法律による規制で可能とするものである。しかしその法律はどのような法令か明確に言及されていないが、強制力がある法律でなければ警察組織に都合よく丸め込まれてしまうだろう。
 私は法科学研究所を物理的に訴追機関外へ分離することが最も確実と思われる。しかし、そうでなくとも例えば公安委員会に直属する方法も考えられる。例えば科警研であれば国家公安員会に、科捜研は都道府県知事直属の公安委員会に移設することである。ただし、同委員会の警察に対する管理の実効性が乏しい現状にあるため、分離しても法科学研究所は警察の管理下に置かれる状況は変わらないだろう。
 従って、法科学研究所を公安委員会に移設するならばその前提として、法的効力のある法令に基づき、公安委員会への広範な国民参加を促し、国民による国民のための警察監視機関として、同委員会の権力の強化を図るなどの改革を実行しなければならない。そして、新組織の公安委員会に一般の科学者からなる法科学部会を設け、法科学研究所がその管理を受けるようにすれば、鑑定不正の防止や不正発生時の監察が有効に実行されるようになるかもしれない。

結論

1. 鑑定不正は佐賀県科捜研だけの問題ではなく、日本のどの警察でも起こりうる(または起こっている)問題である。
2. 本件により不当な有罪判決を受けている被害者の発見と救済が必要である。
3. 鑑定不正防止は、警察組織の信頼確保のために不可欠であり、事態の重要性を矮小化せず、再発防止のための具体的施策の立案と実践が必要である。


[1] 令和6年3月29日付け警察庁丙鑑発第14 号ほか「DNA型鑑定の運用に関する指針について(通達)、 および令和3年4月1日付け警察庁丁鑑発 第499号ほか「DNA型鑑定の実施における留意事項について(通達)」を遵守すること。

[2] Connors, E., Lundregan, T., Miller, N. and McEwen, T. (1996) Convicted by Juries,

Exonerated by Science: Case Studies in the Use of DNA Evidence to Establish

Innocence after Trial, Washington, DC: National Institute of Justice, NCJ 161258,

June.

[3] Marshall, E. (2000) “How Prevalent Is Fraud? That’s a Million-Dollar Question.”

Science, Vol. 290(5497); p.1662-1663.

[4] Sovacool, B. (2008) “Exploring Scientific Misconduct: Isolated Individuals, Impure

Institutions, or an Inevitable Idiom of Modern Science?” Bioethical Inquiry, Vol.

5(4); pp.271–282.

[5] Cressey, D. (1953/1973) Other People’s Money, reprint edition, Belmont, California: Wadsworth Publishing Co.

[6] Judson, H. (2004) The Great Betrayal: Fraud in Science, New York: Harcourt, Inc.

[7] Parrish, D. (1996) “The scientific misconduct definition and falsification of credentials,” Professional Ethics Report, Vol. IX (4); pp.1-5.

Krimsky, S. (2007) “Defining Scientific Misconduct: When Conflict-of-Interest is a Factor in Scientific Misconduct,” Medicine and Law, Vol. 26; pp.447-463.

ORI (2009a) Handling Misconduct – Inquiry Issues, U.S. Department of Health and Human Services, Office of Research Integrity, website; url: http://ori.hhs.gov/ misconduct/inquiry_issues.shtml., updated December 6.

[8] 警察予算の第一線警察における「科学捜査力の強化」と「DNA型鑑定の推進」の合計額を表示。警察庁成25年度 警察庁予算の概要に基づく。

科警研予算は、平成 23 年度内閣府所管 一般会計歳出予算各目明細書に基づく。(https://www.cao.go.jp/yosan/soshiki/h23/h23naikakufu_tousyo.pdf)

[9] Judson, H. (2004) The Great Betrayal: Fraud in Science, New York: Harcourt, Inc.

[10] Fitzgerald, F. (1998) “Phony ‘Expert’ Jailed For 3 Years,” Sun-Sentinel, December 1.

[11] 科警研:JUDGIT! 行政事業検索/科学警察研究所(https://judgit.net/projects/17964

NFS:研究報告50-52号

IFM:107-109年度法医鑑定業務統計年報

[12] 科警研HP: (https://www.npa.go.jp/nrips/jp/about/activity.html)

[13] 科警研:年報など資料が無く「構想日本・日本大学尾上研究室」調査資料に基づいた。

[14] (https://www.npa.go.jp/nrips/jp/evaluation/data/R4_kikanhyouka.pdf)

[15] Brent E. Turvey, Forensic Fraud: Evaluating law enforcement and forensic science cultures in the context of examiner misconduct, 3章 法科学入門 二つの文化, 2012).

[16] Chisum, W.J. and Turvey, B. (2006) Crime Reconstruction, Boston: Elsevier Science.

[17] Edwards, H. and Gotsonis, C. (2009) Strengthening Forensic Science in the United States: A Path Forward, Washington, DC: National Academies Press.

[18] Brent E. Turvey, Forensic Fraud, 3章 法科学入門 組織文化の改革, 2012.