イノセンス・ネットワーク大会(以下、「大会」)から3ヶ月近くがたちました。帰国後えん罪に関する報道に接するたびに、ニューオーリンズでの日々やそこで会話を交わした人たちを思い出します。
事前にプログラムに目を通した際に驚いたのは、えん罪問題へのアプローチの多様さです。特に目を引いたのが雪冤後の支援で、これに関する多くのセッションが用意されていました。えん罪救済においては雪冤がゴールのように表現されることがありますが、当事者にとっては多くのものを奪われたところからのスタートでもあります。新たに始まるのは、えん罪に苦しんだ日々を帳消しにするような満ち足りた日々ばかりではないでしょう。日本では雪冤後の支援はまだまだ不十分であり、大きな差があることを感じました。以下では、部分的にしか参加できなかったものを含めて、大会プログラムを参照しながらいくつかご紹介します。
まず、22日のReflecting on the Purpose of Art in Processing Traumaと題するセッションでは、雪冤者が拘束などで生じたトラウマを克服するために有効な手段としてアートに焦点があてられていました。トラウマ体験を言語化することで癒しにつなげるためには、アートという非言語的なアプローチが有効であるとの知見を共有するものです。
同時間帯には、銀行口座の開設からはじまり、ローンやクレジットなどお金にまつわる知識と感覚を育むことで、自由の身となってからの1-2年間に雪冤者が経済的な自立を果たすことを目指すセッションがありました。23日には、雪冤者が社会に復帰することをいかに支援するかというセッションも開かれていました。さらに、えん罪によって何年にも渡って引き離されてしまった人とそのパートナーが、どのように信頼と愛情関係を維持してきたかについての体験談を共有するセッションでは、トラウマを抱えた人がコミュニケーションにおいて直面する障害も取り上げていました。このセッションには心理学者が参加していたようです。参加できなかったことがとりわけ残念だったのが、えん罪によって死刑判決を受けた人々によるパネルディスカッションを中心としたセッションでした。無実の罪で執行される恐怖に何年も晒された結果、この場に参加できなかった人も少なくないであろうと思われるだけに、えん罪をめぐる仲間のために立ち上がる人々の勇気には敬服するばかりです。
こうしたセッションにはメンタルヘルスの専門家がいたり、雪冤者限定にしたものもあり、当事者を中心とした構成が随所に見られました。なお、雪冤者とその家族が大会の喧騒から少し離れて落ち着けるラウンジは、両日とも朝から午後まで開いていました。
そして、ケアや支援の対象は雪冤者にとどまりません。イノセンス団体もまた組織としてサバイブしていかねばならないのです。私が通しで参加したのは、資金集めにまつわる体験を共有してディスカッションするセッションと、メディアコントロールに関するセッションです。大会には、政府系・NGO・ロークリニック系といった様々な形態の団体が参加しています。それに応じて、資金集めの方法やメディアとの関わりも異なります。社会の関心の高まりを集まった資金で測るのか、SNSのフォロワー数で測るのかも異なるでしょう。それだけに共有される体験談は多彩で、ただちに取り入れたいと思ったプラン、現在のIPJでは難しいと思われるプランまで、どれも参考になるものばかりでした。人材発掘や人材管理に関するセッションはIPJにはまだ早いだろうと参加を見送りましたが、いずれ必要になる時がくるよう活動を広げていきたいと思っています。
また、イノセンス団体では、社会からの批判や組織運営にまつわるトラブルに対処する必要が生じることがあります。その過程でレピュテーションリスクが増大し、これがメンバーを疲弊させ、組織を弱体化させかねません。燃え尽き症候群や共感疲労(compassion fatigue)の問題も指摘されています。イノセンス団体の持続的な運営は、いかに安定した財政基盤を築くかにかかっていますが、それ以外の要素にも早くから目を向けねばならないと感じました。参加が叶わなかったものの興味をひかれたセッションとして、刑務所に影響を受けた人々(元受刑者、家族、弁護士、政治家)が体験する喪失を取り上げてコミュニティーにおける癒しを取り上げたもの、えん罪当事者のトラウマを追体験することによる、いわゆる二次的トラウマに対処するためのマニュアルやトレーニングを学ぶものがありました。
その他、印象的だった出来事を最後に述べておきたいと思います。
まずは、イノセンス・ネットワークの正式団体の代表が参集したDirectors Meetingの一幕です。順に自己紹介が回り、イノセンス・プロジェクト・ジャパンの番になったところ、「正式加入、おめでとう!」「ようこそ!」という温かい拍手をいただきました。これもひとえに、えん罪救済センターの時代から事務局長・笹倉を中心に国際的な交流が育まれてきた結果でしょう。初日のパーティーで各団体の代表と会話を弾ませる事務局長の姿は、なんとも頼もしいものでした。
そして、2日目の夕方、パレードに出る前のことです。会場となったホテルのロビーで、1人の女性に声をかけられました。話してみると大会の参加者ではないとのこと。何か集まりをやっているなと覗いたところ、えん罪救済のためのイベントであることが分かり、そこにアジアからの参加者がいることに感銘を受けたと握手をしてくれました。開催地域におけるえん罪問題への関心を高めることもまた大会の目的であることを思い出し、それに少しでも貢献できたようで嬉しくなりました。
新たな知己を得たり、スイスで会ったフリーダム・ファイターと再会したりと、いつもの倍以上の交際。
パーティーで雪冤者が登壇するたびに拍手をしたら真っ赤になった手のひら。
ニューオーリンズの街角で聞いたジャズの演奏。雄大なミシシッピ川。
どれも忘れられない思い出です。
次の大会には今西さんやお世話になってきた雪冤者の皆さんと共に参加することが大きな目標になりました。
広報委員長・古川原明子