事件についての聞き取りを行いました
京都女子大学IPJ学生ボランティアのメンバーが、11月18日(火)、「白浜水難偽装事件」と呼ばれている事件につき、弁護人の津金貴康先生から聞き取りを行いました。
この事件はIPJの支援事件ではありませんが、えん罪であることが主張されている事件です。
事件の概要
白浜水難偽装事件は、2017年7月18日、和歌山県白浜町の海岸で、Nさんと妻のSさんがシュノーケリングをした際(Nさんがトイレにいっていた間)に、Sさんが溺れ、2日後に、搬送先の病院で低酸素脳症で亡くなった事件です。
事件の前に、Nさんが不倫をしていたことと、その交際相手が妊娠していることが発覚したことにより、NさんとSさんの仲はあまり良いとはいえない状態だったそうです。また、Sさんの母親の働きかけにより、NさんとSさんはともに複数の保険を契約していました。そして Nさんは事件の前日に、インターネットで「溺死」「保険金殺人」等のサイトをクリックしていました(妻に保険金を残すために自分が事故死に見せかけて自殺をしたいという思いから調べ、そこから興味本位でリンクをクリックしてしまっただけであり、殺人の計画をしようとしたわけではないそうです)。
捜査の問題点
Nさんは、妻のSさんに対する「殺人罪」で逮捕されるまで、別件で複数回逮捕されています。
Nさんは、事件後に大阪市内の元勤務先で8回にわたって窃盗を行っています。そのうち1件につき「窃盗罪」で逮捕・勾留され、起訴された後に別のもう一つの件につき逮捕されることを繰り返し、計4件で逮捕・勾留されています。そしてその逮捕・勾留の期間中、窃盗については余罪も含めてすべて自白しているにもかかわらず、白浜署で、Sさんの「殺人」についての取調べが行われました。
そして、4件目の「侵入窃盗罪」での勾留中に、勾留についての準抗告申立てが認容され、保釈請求も認容されて、保釈金を納めれば出られるという状況になったところで、「殺人罪」で逮捕されています。
「殺人罪」での逮捕後は、連日5~8時間の取調べが行われましたが、Nさんは黙秘し、完全黙秘のまま「殺人罪」で起訴されました。
裁判の結果
第一審では、Sさんが亡くなったのが他殺なのか事故等なのかという「事件性」が争点となりました。
事件性についての検察官の立証は、①Sさんの救命時に胃内に35グラム程度の砂があったこと。②胃内に35グラム程度の砂があることは、他殺以外に考え難いこと。③検索履歴や保険等といったNさんの行動の3点でした。
これに対して弁護側は、①救命時にそれほど多くの砂があったとは考えにくいこと②仮に胃内に35グラム程度の砂があっても他殺ではなく事故の可能性が高いこと③他殺かどうかは検索履歴や保険等のNさんの行動によって決められるのではなく、科学によって判断すべきであることを主張しました。
両者の主張・立証における最大の問題は、Sさんの救命時に排出されたとされる「胃内の砂」です。
この「胃内の砂」は廃棄されており、現物はありません。裁判では、救命治療から3か月後に行われた「再現」実験と医師A・Bの証言が証拠とされています。この「再現」実験とは、医師Aがビニール袋に水と砂を入れたものを吸引する実験と、警察が袋の中に水を入れ、医師Bが「このくらい」と言ったら止めて、その水の量を測る実験、さらにその中に砂を入れて、医師Bが「このくらい」と言ったところで止めて、砂の量を測る実験です。
一審は、医師A・Bが見間違えていないことを前提に、医師Aについては実験の正確性に疑問があるとしつつも、医師Bについては実験が信用できるとして、結果として、36.5グラムに満たないぐらいの砂があったと認定しました。
そしてこの砂から他殺といえるかどうかの問題については、解剖医・「水難学」者(普段は物理学者)・法医学者の3名が証言しています。
解剖医は、解剖所見では自他殺の区別はつけられないと証言しました。
「水難学」者は、背後から襲われた等の状況において、普段水を飲むときよりはるかに多い量である400ccもの海水を1度に吸引することは可能で、その海水量に37グラムの砂が含まれて一緒に飲み込むことは可能だと証言しました。
これに対して法医学者は、口腔内の容量は60mlであるから、400ccもの海水を一気に飲み込むことはできないと証言しています。
しかし一審は、水難学者の説明は合理的で十分信用できるとし、法医学者の見解を、海中で呼吸を我慢できなくなって口を開ければ海水が入ってくる状態であれば口腔内の容量以上に多量の海水を飲み込むことは何ら不自然ではないとして排斥しました。
そして第一審ではNさんに対して懲役19年の有罪判決を言い渡しました。
控訴審では、検察側の法医学者1名、弁護側の法医学者2名の証人尋問が行われ、「胃内の砂の存在」等について争われました。
結果としてNさんの控訴は棄却され、1審の有罪判決が維持されましたが、有罪の理由は1審とは異なるものでした。
控訴審は、「多量の砂」が存在したという1審の認定について、医師2名の証言は信用できるとしながらも、「砂が廃棄されて存在しない中、目撃した砂の量を認定するのには無理がある」として、量についての判断を否定しました。
また、水難学者の見解についても、「医学的知見に反し採用できない」とし、「事故や自殺の可能性も否定できず、胃内のみ相当量の砂が入ったのは不自然というだけで、殺人事件と判断した原判決は不合理である」と1審の有罪の決め手となった証拠を否定しました。
それにもかかわらず、控訴審は、NさんとSさん、交際相手との関係、ウェブ検索や保険契約等を決め手として、「Sさんの溺死による死亡は計画に完全に一致するもので、2人きりになった約20分間に計画とは無関係に自殺や事故が偶然実現される可能性はおおよそ考えにくい」と控訴を棄却し、有罪としました。
(京都女子大学3回生 S.S)
聞き取りで学んだこと
・人物評価と事実認定とを切り離すことの重要性
先生が「倫理的に問題ある行為をしていた過去があっても、それが殺人とは直接結びつかない」と繰り返し強調されていたことから、被疑者に対する人物評価と、証拠に対する判断とは区別すべきという基本姿勢の重要性を学びました。
・科学的検証の必要性
被害者の胃内容物や砂の量など、科学的に裏付けるためには適正な条件で複数回の実験を行う必要があること(この事件ではそれぞれ1回しか実験されていないそうです)、関係者の記憶や体感的数値だけで事実認定をすることの危うさを学びました。
・ストーリー(動機)構築の矛盾点の検討
検察側の主張する「不倫相手と一緒になるために殺害した」という筋書きに対し、実際には不倫相手とはSさん死亡後に別れているなど行動との矛盾が存在する点があるため、一概にストーリー立てはできないのではないかと感じました。
・別件逮捕・勾留の問題性
窃盗で逮捕しながら実際は殺人事件について取り調べたことには疑義があることを学びました。黙秘していない一連の事件を1件ずつ分けて逮捕・勾留して取り調べる手法は、本来の逮捕・勾留の趣旨から外れている点に問題を感じました。特に、大阪で起きた窃盗事件を理由とする身体拘束を、和歌山の警察署が扱っている点には大きな違和感をもつ必要があると感じました。
・長時間の取調べの公正性への疑問
殺人罪での取調べが5~8時間にも及び、捜査側の苛立ちが被疑者に伝わるような態度があったということは、公正な取調べがなされていないことになるのではないかと考えさせられました。取調べにおいて被疑者の人権を守ることの重要性を改めて考える機会となりました。
別件逮捕は別件を口実として身体拘束をして、その状態を利用して本件についての自白を迫る手法です。このような運用は、憲法で保障されている令状主義や黙秘権等の権利を形骸化させ、えん罪につながる危険性があります。捜査機関が適正手続きではない方法で自白を得ようとすることは、いかに被告人の人権を侵害し、えん罪を生み出す温床となるのかを改めて実感しました。
また、証拠に基づいた公正な裁判をすることが重要であり、疑わしきは罰せずという理念についても考えさせられました。
感想
弁護士の先生が、「Nさんは不倫などをしているため倫理的に「いい人」とはいえないが、殺人をしていることとはつながらない」と何度も強調されていた点が印象的でした。別件逮捕が行われていることや、取り調べの時間が長いこと、検察のストーリー立てなどについてもうかがい、果たして公正なのかと感じました。
特に、別件逮捕が行われている点は看過できないと思いました。殺人罪での逮捕に先立ち窃盗罪を理由として、しかも大阪で起きた事件を和歌山の警察署が扱っている点には違和感を持ちました。また、同じ場所で複数回行った窃盗については黙秘をしていないにもかかわらず、その事件を1回1回分けて逮捕・勾留することは、本来の逮捕の意味から離れていると感じました。
第一審では、胃内の砂が有罪の根拠となりましたが、医師らの証言をもとに行われた実験は実際に救命活動を行ったときから何か月も経っており、その実験方法についても胃の内容物や胃の形が考慮されていなかったとお聞きし、実験の正確性には疑問が残ると感じました。
また控訴審では、ホームページの検索履歴や保険等から有罪とされ、客観的・科学的な判断がされなかったことには大きな問題があると思いました。
今後の再審に向けて医学的・科学的に他殺ではないというところまで持っていくことは難しいが方法を探し続けなければならないという先生の言葉が印象に残り、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事司法の原則について向き合い直すきっかけとなりました。
(京都女子大学4回生 N.O)


